1958年<アメリカ>
監督
ウィリアム・ワイラー
出演
グレゴリー・ペック/ジーン・シモンズ/チャールトン・ヘストン/バール・アイヴス/チャールズ・ビックフォード/チャック・コナーズ/アルフォンソ・ベドーヤ
ストーリー
1870年代、テキサスに東部から1人の紳士ジェームズ・マッケイが地元の有力者テリル少佐の一人娘パトリシアと結婚するためやって来た。だがテリル家はパットの親友で女教師のジュリーが相続する水源地をめぐってヘネシー家と争っていた。一方テリル家の牧童頭スティーヴはパトリシアを密かに愛しジェームズを疎ましく思っていた。非暴力・平和主義のジェームズはこれら全てを合法的に解決しようとするが…。
婚約したジェームズ・マッケイ(グレゴリー・ペック)と、パトリシア(キャロル・ベイカー)、テリル少佐(中央、チャールズ・ビックフォード)
なにしろこのジェームズ・マッケイという男、徹底した平和主義者だ。テキサスに着いてそうそう、テリル家と反目するヘネシー家の長男バック率いるならず者に、いいようにもてあそばれても手も出そうとしない。バックたちはマッケイを臆病者として町で散々言いふらす始末だ。
そして、テリル家では必ず通らなければいけない儀式、暴れ馬の“サンダー”にも乗ろうとしない。西部で生まれ育ったパトリシアにはそれが「男らしくない」と感じてしまい、不満である。
テリル少佐が牧童たちを連れて、ヘネシー家の村を襲撃しに行くという。自分のせいで何もこんなことをすることはないと訴えるマッケイだが、テリル少佐は面目を潰されたのだから当然の行為だと譲らず、村を襲い、その足で町へ行きヘネシー家の一味をリンチにかけた。その間バックは見つからぬよう隠れていた…。
テリル家の牧童頭スティーヴ(チャールトン・ヘストン)
なすすべもなくテリル家に留まっていたマッケイだが、暴れ馬“サンダー”に乗る決心をした。ただし、皆には内緒で。知っているのは馬を世話しているラモンだけだ。何度も振り落とされたが、サンダーを攻略した。
…その夜、テリル家ではマッケイとパットの婚約パーティが開かれていた。華やかに着飾った紳士淑女。踊るマッケイとパット…。その時、窓から1人の男が入って来た。ヘネシー家の主、ルーファス・ヘネシーである。
ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)
ヘネシーとテリル少佐は30年以上も遺恨の仲だ。彼は“ビック・マディ”と言う、牧場を経営しているものには大事な水源地を独り占めにしようとしている少佐を責めた。今度村を襲ったらただではおかないと脅した。そして家を後にした…。
…翌朝、マッケイは“ビック・マディ”目指して1人で旅立った。東部の男が無茶をする、道に迷うに違いない…少佐は牧童たちをマッケイの捜索にあてた。マッケイが分からなくなるパット。スティーブは彼を「とんだ恥さらしだ」と一蹴した。パットが彼をぶつと、スティーヴは激しくキスをした…。抵抗するパット。激しく求めるスティーヴ…。
マッケイは朽ちた邸宅に行き当たる。それは“ビック・マディ”の持ち主、ジュリーの祖父の家だった。ジュリーも偶然この地にいたので、“ビッグ・マディ”を案内してもらうマッケイ。
“ビッグ・マディ”
マッケイはジュリーに“ビッグ・マディ”を買いたいと申し出る。テリル家にもヘネシー家にも水を供給する。そうすれば平和が保てる。パットにも結婚の贈り物になる。…ジュリーはマッケイに“ビッグ・マディ”を売った…。
スティーヴたちはマッケイを捜索したが全く見つからなかった。夜を徹しての捜索だ。しかし、そこにマッケイが通りがかる。彼の行動を激しく非難するスティーヴ。
家に帰り着くと、スティーヴがマッケイに喧嘩を売って来た。しかし、挑発には乗らないマッケイ。やはりこの男は“臆病者”なのだと皆が思った。パットも思った…。マッケイは明日の朝、町に移るという。もうパットはマッケイに愛情を感じなくなっていた…。
…夜中、マッケイはスティーヴの許を訪れる。マッケイはスティーヴが売った喧嘩を受けたのだ。ただし知るのはこの2人のみ。壮絶な殴り合いは果てしなく延々と続いた…。
朝、マッケイはテリル家を後にした…。
スティーヴはテリル少佐に命令され、気が進まない中でヘネシー家の牛を水源地から追い散らしていた…。
ヘネシー家ではルーファスがそれを聞いて怒り心頭だ。ルーファスはバックにジュリーを連れて来いと命令する。お前に夢中なら来るはずだと言う。実はバックはジュリーに夢中で、父親にはジュリーの方が彼に夢中だと偽って報告していたのだ…。ルーファスももちろん“ビッグ・マディ”を独り占めする気でいて、ジュリーに土地の権利書にサインさせようという腹なのだ。
…町ではマッケイとジュリーが会っていた。
ジュリー(ジーン・シモンズ)と、マッケイ
マッケイは、“ビック・マディ”はジュリーの贈り物にするのをやめたと言った。ジュリーは説得を試みるが、マッケイは根は深い所にあるのだと言う。そして改めて“ビッグ・マディ”を登記したいという。ジュリーの許可を貰って早速登記に取り掛かるマッケイ。
そこに、パットがやって来た。彼女はジュリーからマッケイが“サンダー”に乗ったと、“ビック・マディ”を結婚の贈り物として買ったことを知らされていた。「結婚は出来ない」と断るマッケイに関係修復を迫るパット。「あなたを愛しているの。パパに牧場の話をするわ。“ビツグ・マディ”のことでパパは大きな計画があるの…」うんざりするマッケイ。少佐のための“ビッグ・マディ”ではない。ヘネシー家にも水を分ける…。激しく罵るパット。…それでパットとは終わった。
一方ジュリーは、パットにさらわれヘネシー家へと急がされていた…。
― う~ん…、これほど悩ましい映画とは…。ちょっと困ったぞ。
そもそもこの作品は「西部劇」と言えるのか?それとも「西部劇」の範疇には入りきらないほど壮大な物語なのか?
人間関係は、流石の巨匠ウィリアム・ワイラー監督らしく上手く描けている。
“ビッグ・マディ”をめぐる2家族の30年間の遺恨。いかにも東部の紳士的な主人公。その主人公の婚約者に密かに恋心を抱く牧童頭。主人公に降りかかる“西部”の洗礼。親離れ出来ない婚約者。親の頭を悩ませる何事も出来そこないの長男。唯1人主人公の意を汲んでくれる“ビッグ・マディ”の持ち主…。主人公は誰とも戦わずに密かに全てを解決しようとする…。
この、“誰とも戦わない”主人公が悩みの種なのだ。
徹底した平和主義で秘密主義でもある。皆の前で笑い者にならなければいけない儀式、暴れ馬の“サンダー”には1人で密かに攻略してしまうし、牧童頭のスティーヴが売って来た喧嘩も皆が寝静まった夜中に密かに行われる。「これで何が証明できたか?」と言うマッケイだが、西部の男はそういうことを人前でファイトし、「男らしさ」を証明しなければいけないのではないのかな?主人公マッケイは東部とは全く異なる土地「西部」に来ても、「男らしさ」は必然な事ではないと思っている。
これが今までの「西部劇」の主人公像とは全く異なるところなんですよねぇ…。それがこれからの「西部劇」の主人公像と言ってしまえばそれまでなんですが、どうも納得がいかない。正統派の西部劇ではないですよね。全く戦わない男が主人公?
そして、「なにもそこまで…」と思う演出。ロング・ショットが多発しすぎなのよ。「西部」の広大さ・雄大さをシネスコの画面にここぞとばかりに出そうという意思は汲み取れましたが、「なにもそこまで…」と感じるショットが多かった。人間が豆粒なんですもん。その豆粒は、本当にグレゴリー・ペックなのかい?チャールトン・ヘストンなのかい?と訝しく思ったもんです。
あと、馬が去りゆくシーンも多かった。これも本当に役者が馬に乗っているのか怪しいシーンである。女性陣の乗馬シーンはスタントだったし。
“手造り”の「西部劇」を遥か彼方に追いやった映画でもありますね。
ストーリー上では、バール・アイヴス演じるヘネシー家の当主がもうけ役でしたね。息子が野蛮でいやらしい男なので、親もそうかと思いきや…実は真っ当な常識人。しかし、“ビッグ・マディ”から水が供給されてもテリル少佐とはそれは長い遺恨の仲。最後はこれぞ「西部の男」っぷりを見せてくれます。
チャールトン・ヘストンはまだ若いなぁ…という印象。「十戒」でモーゼやった後なんですがね、グレゴリー・ペックの域までには届かず。この後再びワイラー監督と組んで、「ベン・ハー」で主演男優賞を獲得するんですね。(主演男優賞はグレゴリー・ペックより早く獲得)この人は“助演”ではなく、あくまでも“主演”で映える人なんだなぁ…と思った次第。
この作品を「西部劇」として期待して観たら、拍子ぬけするかもしれません。単に物語の舞台が「西部」にすぎないと感じました。
3時間弱、長いぞ。
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