映画 1980年代 アメリカ

2008年10月19日

評 決

2 1982年<アメリカ>

監督

シドニー・ルメット

出演

ポール・ニューマン/シャーロット・ランプリング/ジャック・ウォーデン/ジェームズ・メイスン/ミロ・オーシャ/エドワード・ビンズ/リンゼイ・クローズ/ジュリー・ボヴァッツ

ストーリー

フランク・ギャルビンは弁護士だが、酒浸りで、新聞の死亡欄で係争問題が起こりそうな事故死を調べてはその葬儀に潜り込み名刺を置いてくるという情けない生活を送っていた。よき理解者の老弁護士ミッキーですら、いまのギャルビンには手を焼いていた。そのミッキーがギャルビンにある事件を持ってきた。出産で入院した女性が麻酔処置のミスで植物人間になってしまったという、医療ミス事件だった。被害者の妹夫婦が、その病院、聖キャサリン病院と担当の医師2人を訴えたのだった。原告側の証人である大病院の麻酔医の権威グルーパーに面会し、完全な医師のミスであることを確信したギャルビンは、廃人となったデボラの不幸な姿を見て、ショックを受けると同時にこれまでにない怒りを感じるのだった。訴えられた聖キャサリン病院は、カソリック教会の経営で、病院の評判に傷がつくことを恐れたプロフィー司教はギャルビンに21万ドルの示談を申し出た。この仕事に執念を燃やし始めていたギャルビンは、この大金のを蹴る。示談で良しとしていた妹夫婦からは散々な中傷を受けるが、事件は法廷に持ち込まれることになった。教会側に雇われた被告側弁護士は、大物中の大物コンキャノン弁護士だ。早速彼は動き出す。ある夜、ギャルビンは行きつけの酒場で、謎めいた雰囲気を持つ女性ローラと知り合い、深い仲になるが…。

17

ローラ(右、シャーロット・ランプリング)と知り合いご機嫌なギャルビン(左、ポール・ニューマン)

しかし、ギャルビン側に一大事態が発生する。最大の頼みであったグルーパー医師が、コンキャノンの工作で寝返り姿を消してしまったのだ。更に検事のホイルの心象を悪くしてしまった。窮地に立つギャルビン。

頼みの綱は、ただ1人証言を拒んでいるルーニー看護婦だった。しかし彼女はギャルビンの説得に耳を貸そうとはしなかった。

そんな中、裁判が始まる。

15

     ミッキー(ジャック・ウォーデン)とギャルビン

裁判の焦点は、患者デボラがなぜ麻酔マスクの中で嘔吐し、そのために一時的に窒息死した状態になり脳障害を生ずるに至ったかという点にあった。患者が麻酔処置を受ける1時間以内に食事をした場合ならこの種の事故は起こりうる。妹は食事を麻酔の1時間前に取ったと言っている。しかしカルテには9時間前と書かれていた。

ギャルビン側の力不足は明らかだった。小さな町医者を証人に立ててみても、コンキャノン側にあっさりと覆されるだけだった。

やはり決定的な証人になりうるのは、ルーニー看護婦だった。そこでギャルビンが気づく。彼女は誰かを庇っている。当時カルテに食事時間を書き込み、その後病院を辞めていた受付係ケイトリン・コステロを突き止めた。ギャルビンは単身ニューヨークへ飛ぶ。

ケイトリン・コステロから力になる約束を取り付けたギャルビンに、衝撃的な事実がミッキーの口から伝えられた。ギャルビンの力になり支えであったローラは、実はコンキャノンのスパイだった…。愕然とするギャルビンはローラを殴り倒し、2人は別れるしかなかった。

そして、ケイトリン・コステロが証言台に立つ日がやって来た。名前が呼ばれると、医師の間に緊張が走った。彼女は何を語るのか…。

16_2

ホイル判事(ミロ・オーシャ)、コンキャノン弁護士(ジェームズ・メイスン)、ギャルビン

― 本当の「正義」とは何なのか。人は「慈悲ある正義」を行えることが出来るのかを問うた法廷映画の傑作。

機械につながれ動かない原告デボラ。死んだも当然だ。ギャルビンはその姿に自分を見たのかもしれない。酒浸りで仕事は無し。死んだも当然だ。デボラを見てからギャルビンは裁判に勝てると思うようになる。自分も生まれ変わったと思うようになる。

しかし、道は厳しかった。被告側弁護士の工作で彼の証人は消える。光明を見出してもコンキャノンに先を越される。スパイがいるのは明らかだったが、この裁判に賭けていたギャルビンはそんなことは露にも思わなかった。しかし実に身近にスパイは存在した。ギャルビンが愛し、支えにした女性ローラだった。

最後の頼みの綱として登場した証人、ケイトリン・コステロの決定的な証言も記録から抹殺されてしまう。四面楚歌のギャルビン。

ギャルビンの最終弁論は、大演説をぶつ訳でなく、静かに陪審員に問いかける。語られる。

「我々は絶えず暗闇で迷っています。

そして神に祈ります。

“正義と真実をお示しください”

しかし正義はなく、貧しいものは常に無力です。

絶えずウソを聞かされていると

我々の中で何かが死んで、こう思うようになります。

“私は犠牲者だ”

そう思ったら本当に弱い人間になり、

自分の信念を疑います。

この国の制度を疑い、法を疑います。

今日の法は、あなた方です。

あなた方が法です。

法律書でも弁護士でもなく、大理石の彫像でもなく

法廷でもありません。

それらは我々の願いの象徴に過ぎません。

正義への願いです。

願いというより、祈りと言うべきかもしれません。

正義を切に願う祈りです。

もし、正義を信じたいと願うなら

まず自分自身を信頼し、正しく行動するのです。

正義は誰の心にもあるのです。」

記録は抹殺されたが、記憶までは抹殺されるはずかない。

ギャルビンがローラに会った当時話した言葉が、この映画を要約していると思う。

…弱者を守る人間が必要だ。法律は正義を与える場ではない。正義に挑戦する機会を弱者に与えるのだ。陪審員はそれが可能だと信じたいんだ。裁判なんか信用できないと思っている連中が陪審員席に着くと、目が訴え始める。

“もしかしたら、正義を行えるかもと…”

「正義」は行われるのだ。

1

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月20日

黄 昏

Photo 1981年 <アメリカ>

監督 マーク・ライデル

出演

キャサリン・ヘプバーン

ヘンリー・フォンダ

ジェーン・フォンダ

ダグ・マッケオン

ストーリー

初夏のニューイングランド地方。「ゴールデン・ポンド」と呼ばれる湖のほとりにセイヤー家の別荘があった。引退した大学教授ノーマンと妻エセルが今年もこの別荘で過ごそうとやって来た。もうすぐ80歳を迎えるノーマンは心臓が悪く、死への恐怖は増すばかりであるが、エセルは穏やかな愛情を持ってノーマンを支えていた。そんなある日、彼らの一人娘チェルシーから手紙が届く…。

※ ネタバレです。

Photo_2

仲睦まじいノーマン(ヘンリー・フォンダ)とエセル(キャサリン・ヘプバーン)

ノーマンは別荘に来ても、新聞の求人欄しか見ない。それとはうって変わってエセルは行動派だ。今日は旧道になっていたイチゴを摘んできた。今度はノーマンがイチゴ摘みにいかされるが、何故かすぐ家に帰ってきてしまう。

そこに、一人娘チェルシーから手紙が届く。ノーマンの80歳の誕生日に恋人と一緒に別荘に来るという。しかし、それを気にかける様子でもないノーマン…。

Photo_3ノーマンはエセルに訴えかけるように言う。すぐ家に戻ってきたのは、旧道までの道がわからず恐怖して、エセルの許へ逃げ帰ったのだと。

エセルは優しくそれを受けとめる。「お昼にイチゴのケーキを食べたら旧道に一緒に行きましょう。何千回も行っているのよ。道だってきっと思い出すわ」と。「よく聞いて。あなたは私にとって輝ける頼もしい騎士よ。馬の上であなたの背中にしがみつくわね。二人でどこまでも行きましょう…」と励ます良妻だ。

Photo_4 …ノーマンの誕生日。チェルシーがやって来た。エセルとは仲が良さそうだが、どうやらノーマンとの関係が上手くいっていないようだ。それでも2人は何事も無かったかのように振舞う。

恋人を紹介されるが…家に入ってきたのは中学生ぐらいの男の子だった…。彼の息子だという。ノーマンと2人きりになると、なかなか生意気な子だ。ノーマンの毒舌も冴える。

恋人の息子ビリー・レイに部屋を案内しているとき、チェルシーがエセルに、「ノーマンが随分歳をとったようだ…」と心配していた。「そうかしらね?」と受け流すエセル…。

チェルシー、エセル、ビリー・レイが湖に行っている間、ノーマンと2人きりになったビル・レイは彼の毒舌に驚きつつすっかり緊張しきってしまい、浮き足立っている。しかし、チェルシーと一緒に寝ることを許してくれたノーマンをもっと知ろうという気になっていた。

今度は、入れ替わりに息子ビリー・レイがノーマンの相手をすることになった。しかし話がかみ合わない2人。進んだ13歳の子供と頑固な80歳の子供といったところか。

エセルが湖から帰ってきた。チェルシーからお願いがあると言って。ヨーロッパに行っている間、ビリーをひと月預かってほしいということだ。エセルは承知した。あとはノーマンの承諾だけだ…。仕様がない。預かることにした。

そうしてノーマンの80歳の誕生日は過ぎていった…。

ある日の夜、チェルシーを除いて皆でゲームをしていた。ノーマンが、チェルシーは負けず嫌いでゲームをやらないと言うと、チェルシーはノーマンに「ゲームより人に勝ちたいんでしょ」と吐き捨てるように言った。親子の確執が見えた瞬間だ。

ノーマンとエセルの一人娘チェルシー(ジェーン・フォンダ)

Photo_5

チェルシーは、ノーマンに何事も認めてもらえないのが悔しいのだ。彼女はこの別荘では相変わらず「おデブちゃん」で「子供」のままなのだ。彼女は子供の頃から“父親は威圧的で、母親は味方しない”と思っていた。

エセルは「グチを言うのもいい加減飽きたはずよ、あなたは大人なの。― 人生は止まらない。乗り遅れないで」そう言うしかなかった。

…そしてチェルシーとビル・レイは、ビリーを残してヨーロッパへと旅立っていった…。残されたビリー・レイは当然面白くない。不安になる2人…。

しかし、ビリーは2人の…ノーマンの人生を豊かにしてくれた。この一見祖父と孫のような2人は湖で飛び込みや釣りを通して友人になった。そしてノーマンが4年越しに夢を見ている大マス「ウォルター」を一緒に釣りに行くまでになっていた。

だが、ノーマンの“老い”は確実に忍び寄る。暖炉の火の不始末を起こし、それをビリーのせいにした。エセルは落ち込むビリーに「ノーマンはあなたに怒ったのではない。人生に怒鳴ったのよ」と言う。「うわべを見ただけで人は理解できないわ。ノーマンも精一杯生きているの。ままならぬ人生をね…。あなたと同じ。」と優しく包み込む。

   ノーマンにいつでも優しい眼差しのエセル

Photo_6

ビリーはボートの操縦を任されるまでになっていた。そして、今日はいよいよ「ウォルター」が潜んでいるという“地獄の入り江”に行った。浅瀬で座礁しやすい場所だが、ビリーの案内でボートは上手く進んだ。しかし、ビリーが釣り上げたのはアビの死骸で、ノーマンは釣りに乗り気ではなくなり、天候も悪くなったため帰ることにした。

今度はノーマンが案内し、ビリーが操縦した。しかし、ビリーの手違いでボートは暴走し、案内役のノーマンは湖に落ちてしまう。ノーマンはチェルシーの名を叫び続けていた…。

ノーマンたちが帰らないことに心配したエセルは知り合いに頼んでボートを出してもらって、“地獄の入り江”へ行く。2人を無事見つけたエセルは湖に飛び込み助けに行くぐらい心配していたのだ。

2人は一週間、釣りをしないで過ごした。エセルに禁止されていたのだ。彼女がキノコ狩りに行くと言うので、こっそり釣りに出ようとすると、そこにはエセルの姿が。近場でなら釣ってもいいというお許しが出た2人はいそいそと出かけた。

Photo_7チェルシーが帰ってきた。ノーマンとビリーがすっかり“親友”になってしまったのに嫉妬しているようだ。

「でも なぜ?」とチェルシーが「私とは友達じゃなかった」と言った。エセルは「何を言うの?彼はあなたのお父さんでしょ」と言う。チェルシーがなりたかったもの…ノーマンと友達になりたかったのだ。

エセルが「何か良い話はないの?」と話題を変えると、チェルシーは「結婚したの」と言った。もちろん、ビル・メイとだ。エセルが、ノーマンも喜ぶわと言うと、チェルシーは、「きっと何とも思わないわ。最低な男だから。」と切って捨てた。その時頬に一発ぴしゃりとエセルにぶたれた。「その最低な男は私の夫よ」と言って。

ボートの2人は奇蹟に格闘していた。ついに「ウォルター」を仕留めたのだ。

ついにチェルシーは決心をして、ノーマンと話し合うことにした。「普通の父と娘の関係を築きたい」と。だが、ノーマンはのらりくらりと話をかわす。チェルシーはやっと「いがみ合うのをやめたいだけ。友達になって!」と言うことが出来た。ノーマンは「もっと頻繁に遊びに来るということか…」と照れながら言う。結婚の報告もした。「うれしいよ、超素晴らしい」とノーマンは言った…。

そしてチェルシーはビリーを連れて、ロサンゼルスへ帰っていった…。

…秋、ノーマンとエセルも別荘を離れるときが来た。荷造りをする2人。ふとノーマンに心臓発作が襲う…。薬を飲ませるが、意識朦朧のノーマン…。ついに来る時が来たのか?

Photo_8

電話で医者を呼ぼうにも、オペレーターが出ない。焦るエセル。ノーマンが「エセル、エセル…」と呼ぶ。気分が良くなってきた…とエセルを安心させる。

エセルは、「初めて私たちは死ぬんだって実感した。横たえたあなたを見た時に、そこに亡がらが見えたの。お棺の中にスーツを着たあなたの姿が…」と言った。「死」は妙な感じだ。寒いというか、でも思ったほど悪くない。怖いより、むしろ安らかで、天国に行くのも悪くなさそうだけど…エセルは泣き崩れた。

そして2人は湖に別れを告げに行った…。

Photo_9

― これも難しいなぁ…。日本人女性の平均寿命の半分にも満たない私が「老い」についてえらそうなこと書いたって、なんか“うそくささ”が付きまとう作品ですねぇ。

母親もこの作品に照らしてみると、まだ「老いつつある」途中、父親がかろうじて「老い」に入ったか?という家族構成…。夫の父親は「老いつつある」途中で亡くなり、2番目の母親は「老い」に入ったか?ですもん…。筆者の本当の父親は「若くして」亡くなり、姉も「若くして」亡くなり、夫の本当の母親も「若くして」亡くなり…複雑だ…。「若い死」の喪失感というのは分かるのだが…。

いや、家庭環境はどうでもいいんだが、私の夫がちょうどビル・レイと同世代…ということは、ジェーン・フォンダの役は私の年齢とも近いのではなかろうか?ビル・レイの両親はすでになく(彼も“喪失”を経験している)、チェルシーの親は「老境」に入ったのだ(もうすぐウチの両親も入るだろう)。父親は心臓が悪く薬を飲んでいて、心配な状態だ…。あと10年たったら本当に分かる作品かもしれない。

テーマは、「老いの死と恐怖」と「親子間の断絶」である。

「親子間の断絶」というのは、ほとんどの人が経験しているのではなかろうか?私は2人姉妹の妹であった。姉妹の間でも両親の愛情をどちらが多く勝ち得るか、競争していた感があったのではないかと今になって思う。大概は「上の子」がさらっていくのだが…。子供の頃の写真の数などものの数にならないほど「最初の子」が多いんだね。やはり、両親に振り向いてほしかった。アメリカ人のように「友だちになってほしい」とは言わないが、「優しい愛情」で包んでほしかったのは確かだ。時に不器用な父親の場合は、なおさらそうだろう。

チェルシーが結婚してヨーロッパから帰ってきたとき、ノーマンとビリーが親友になったことに嫉妬し、ノーマンは「何とも思わないわ。最低な男だから。」と言ったとき、エセルは彼女の頬をぴしゃりと一発たたく。「その最低な男は私の夫よ」と言って…。これは、常々チェルシーが“父親は威圧的、母親は味方しない”と思っていたことを裏付けるものだろうが、ノーマンはただ“不器用”なだけなのではないのか?そして、それほど長い期間夫を強く愛し続けることが出来る妻もまれだ。

私も何十年もこの先、夫を強く愛しぬく事が出来るだろうか?そして、子供との断絶など無く過ごしていけるだろうか?この作品を見て、なんだか不安になってきた…。

しかし、「老い」はなくとも「死んでもいい…」と思っちゃう病気の私は、反対に長生きするんだろうなぁ…。あまり喜ばしいことではない。「死にたくなったときに死ぬ」これが私の夢なのだが、もう何度救われちゃったことか…。

もうこうなったら、「老いの死への恐怖」を味わうまで生きてみるのも悪くはないかな…と思い始めている。

キャサリン・-プバーン特集、これにて終了。いかがでしたでしょうか?

私事にて、これが今年最後のブログになります。皆様、良いお年をお過ごしください。

Photo

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月29日

殺しのドレス

7 1980年 <アメリカ>

監督 ブライアン・

       デ・パルマ

出演 アンジー・

     ディッキンソン

    マイケル・ケイン

    ナンシー・アレン

ストーリー

マンハッタンのあるアパートメントの一室。中年女性ケイトは時々シャワー室で突然たくましい男に襲われる夢を見ていた。翌日街へ出たケイトは精神科医のエリオットの許を訪ね、夫へのセックスの不満を話した。彼はケイトに程よい助言をしたが、ケイトは納得できないまま、夫と義母と昼食を共にするため、待ち合わせ場所のメトロポリタン美術館へ入った。椅子に腰掛け待っていると、隣に座った男の視線を感じた。ケイトは手袋を落とし、それを拾った男は挑発的にケイトを誘うように美術館の中を歩いていった。彼女は誘われるまま美術館をさまようが、彼を見失って美術館を出たところ、タクシーに乗った男が手袋を差し出していた。ケイトは男にタクシーの中に引き込まれ、2人は情事を交わし、男のアパートメントへ行って尚愛し合い、ケイトは充実した午後を過ごした。彼女は帰ろうとエレベーターに乗るが、指輪を男の部屋に忘れたことに気づき引き返すが、エレベーターのドアが開いた瞬間背の高いサングラスをかけた女が剃刀で襲ってきた…。

2_17

   謎の女に襲われるケイト (アンジー・ディッキンソン)

はじめにアンジー・ディッキンソン在りし。彼女の色香はなんとなまめかしいものか…。

冒頭のシャワー・シーン、彼女の指が色っぽく体にそって動いていく。(ボディ・ダブルなんでしょうが)胸から下へ誰かを誘うように動く。― そして謎の男に襲われる…。この夢は彼女の願望なのか…。そしていきなり現実に戻される。朝、夫になかば強引に抱かれているケイト。

                                                        男に襲われるケイトの夢

3_9 彼女にはそれが不満なんですね。決して夫を嫌いなわけではないけれど、夢のような衝撃はない。それを彼女がかかっている精神科医に話す。そして彼女は精神科医のエリオットを誘惑するように、「私って魅力がある?」「1人の男として、私のことをどう思う?」などと言うわけですが、もちろんエリオットは彼女のことは単なる患者の患者の1人として扱っているわけですから、魅力はあるが誘いには乗らないんですね。彼に洗いざらい話しても不満解消にはならずに、街へ出てメトロポリタン博物館へ入るケイト。     

絵の前の腰掛に座り色々メモしていると、1人の男が彼女の隣に座る。2人はちらちらとお互いを見やるが、ケイトは何故か鼓動がはやる…。左手の手袋をはずし結婚指輪を彼に見せるようなそぶりをする。手袋が彼女のもとから滑り落ちるのも気づかず、彼女は男をあきらかに意識している。何かを期待しているふうでもあるんですね。やがて男はケイトの手袋を拾い歩み去る。彼女が手袋を落としたのに気づき、男を追い始める。しかしメトロポリタン美術館ってまるで迷宮のようなんである。複雑に入り組んだ部屋。やがて男を追うのをあきらめ外にでると、男がタクシーの中で手袋を振りながら待っていた。そして2人はタクシーの中で愛し合う…。ケイトの欲望が爆発したように。

男の部屋で思う存分愛し合い、心も体も充実したケイトはメモを残し家へ帰ろうとする。机の引き出しからメモを見つけたが、ケイトの心臓は爆発しそうになる。男は“性病”にかかっていたのだ。焦るように部屋を出たケイトだったが、エベーターの中で指輪を忘れたことに気づき、引き返すがエレベーターのドアが開いた瞬間、金髪の背の高い女が剃刀を持ってケイトに襲いかかった。

   剃刀の殺人魔

8 めった切りにされるケイト。ちょうどその時、娼婦のリズと“客”がエレベーター待ちをしていて、再びエレベーターが開くと瀕死の重傷のケイトが最後の力をふりしぼって助けを求め手を差し伸べてきた。しかし無常にもエレベーターは閉まってしまう。だが殺人犯を見たリズが次の<剃刀殺人>のターゲットになってしまう…。

― と、アンジー・ディッキンソンの出番はここまでであるが、彼女の存在感・演技はずば抜けている。“性的に満たされない中年女性”だが、その熟女っぷりが素晴らしいのである。監督は意地悪くも度々彼女の顔を下から見上げるようにカメラに捕らえ、彼女の目の下のしわを見せることによって、“中年女性”であるということを我々に教えているのだが、実に色っぽい熟女なのである。剃刀の殺人魔の犯行が実は、彼女がとても魅力的でセクシーだったから…という理由もうなづけよう。

               殺人魔につきまとわれる娼婦リズ

                      (ナンシー・アレン)

9_2次のターゲット、娼婦のリズを殺そうとしたのは単に姿を見られたからというのも、剃刀の殺人魔が牙をむくのは、彼女の前で<魅力的かつセクシー>であらねばならないからなのね。

そうして、ストーリーは急展開。リズと、殺されたケイトのコンピューターオタクの息子ピーター(これがハリー・ポッターの子に激似なの)が力を合わせて犯人をおびき寄せ、捕まえることになっていくわけですが、リズが娼婦なもんで警察は彼女の言うことを何一つ信じてもらえない。しかし、じわじわと着実に彼女に危機が迫ってくる。地下鉄でのシーンは結構ドキドキさせてくれます。

はじめはそれそれ単独で動いていたリズとピーターがやがて2人一緒になって殺人魔の正体を暴こうとする。(警察はまったく信用できないからね)そして殺人魔の姿を突き止め、リズは決死の覚悟で彼女を誘惑する…。

「ケイト編」と「リズとピーター編」のように2部構成的な映画でしたね。官能の前半、緊張の後半というところでしょうか。

『サイコ』の2番落ちのような映画でありましたが、なかなか興味深い映画でもあります。

| | コメント (11) | トラックバック (2)

2006年9月 3日

最前線物語

2 1980年 <アメリカ>

監督 サミュエル・フラー

出演 リー・マービン

    マーク・ハミル

ロバート・キャラダイン 他

ストーリー

1918年、第一次大戦の終了時4時間前に終戦になったことを知らなかった軍曹が1人のドイツ兵を殺していた。― そして第二次大戦の1942年、若い4人のアメリカ兵を率いた彼の姿があった。いずれも徴兵された屈託のない素直な若者たちだ。彼らが所属するのは、歩兵第16中隊の第一狙撃兵分隊である。軍曹は「戦争は殺人ではない。ただ殺すだけだ。」「戦場では生き残ることが真の栄光である。」と4人に諭していた。その言葉が影響したのか、彼らは過酷な戦場にいても不思議と生き残った。軍曹と彼らは、シシリー島から最大の戦闘D-DAY<ノルマンディー上陸作戦>へと参加し、さらにナチのホロコーストの犠牲者を解放することになる…。

Photo_6

            軍曹と4人の兵士たち

<カルト映画の巨匠>のサミュエル・フラー監督の傑作戦争映画です。監督自身も第二次大戦に兵士として参戦しているんですね。だから、凄くリアルな映画が撮れたのでしょう。

実はこのDVDは新しい『最前線物語』なんですね。監督が残した映画台本を元に全編を再構築して当時の公開版より40分以上のシーンを追加した“リコンストラクション”(意味はよう分からんが…)した、<完全版>と言っていいでしょう。

戦闘シーンは本当にリアル。アメリカは連合軍で勝った側なので、戦争を美化してしまいがちなんですが、サミュエル・フラーはそれをやらない。まさに<戦い>として残酷なシーンも見せてくれます。そして、4人の兵士の心情も情け容赦なしに描かれています。むごたらしい戦場で若い兵士の心が揺らがないはずはない。ピート・ハミル演じる兵士が、「人を殺すことの意味があるのか…」と軍曹に尋ねたら、百戦錬磨の軍曹は「戦争は殺人ではない。ただ殺すだけだ。」と、クールに言い放つ。そして4人もこの戦闘の中で成長していく。D-DAYのノルマンディー上陸も、普通なら<ここが見せ場>とばかりに盛大にやりがちですが、上陸できずに死んでいった兵士の腕時計で時間の経過を、その腕に流れる海水が血によって赤くなっていく…という演出は感心しました。

もしかしたらこの映画が、ナチのホロコーストのゲットーのむごたらしさを見せた最初の映画かも知れないですね。(戦争映画はあまり観ないのでよく分からんけど…)

そして、リー・マービンの“軍曹”は素晴らしいの一言に尽きます。戦闘に疲れた白髪の初老の男。その“軍曹”が、戦争について<生き残る>ことを第一に若い4人の兵士と戦う姿は神々しいです。男が惚れる男ですね。

リー・マービンVSアーネスト・ボーグナインの『北国の帝王』のDVD化を激しく求む!!

                                惚れるよ~

3

                                                                                                                                                                                                                                 

| | コメント (0) | トラックバック (0)