黄 昏
監督 マーク・ライデル
出演
キャサリン・ヘプバーン
ヘンリー・フォンダ
ジェーン・フォンダ
ダグ・マッケオン
ストーリー
初夏のニューイングランド地方。「ゴールデン・ポンド」と呼ばれる湖のほとりにセイヤー家の別荘があった。引退した大学教授ノーマンと妻エセルが今年もこの別荘で過ごそうとやって来た。もうすぐ80歳を迎えるノーマンは心臓が悪く、死への恐怖は増すばかりであるが、エセルは穏やかな愛情を持ってノーマンを支えていた。そんなある日、彼らの一人娘チェルシーから手紙が届く…。
※ ネタバレです。
仲睦まじいノーマン(ヘンリー・フォンダ)とエセル(キャサリン・ヘプバーン)
ノーマンは別荘に来ても、新聞の求人欄しか見ない。それとはうって変わってエセルは行動派だ。今日は旧道になっていたイチゴを摘んできた。今度はノーマンがイチゴ摘みにいかされるが、何故かすぐ家に帰ってきてしまう。
そこに、一人娘チェルシーから手紙が届く。ノーマンの80歳の誕生日に恋人と一緒に別荘に来るという。しかし、それを気にかける様子でもないノーマン…。
ノーマンはエセルに訴えかけるように言う。すぐ家に戻ってきたのは、旧道までの道がわからず恐怖して、エセルの許へ逃げ帰ったのだと。
エセルは優しくそれを受けとめる。「お昼にイチゴのケーキを食べたら旧道に一緒に行きましょう。何千回も行っているのよ。道だってきっと思い出すわ」と。「よく聞いて。あなたは私にとって輝ける頼もしい騎士よ。馬の上であなたの背中にしがみつくわね。二人でどこまでも行きましょう…」と励ます良妻だ。
…ノーマンの誕生日。チェルシーがやって来た。エセルとは仲が良さそうだが、どうやらノーマンとの関係が上手くいっていないようだ。それでも2人は何事も無かったかのように振舞う。
恋人を紹介されるが…家に入ってきたのは中学生ぐらいの男の子だった…。彼の息子だという。ノーマンと2人きりになると、なかなか生意気な子だ。ノーマンの毒舌も冴える。
恋人の息子ビリー・レイに部屋を案内しているとき、チェルシーがエセルに、「ノーマンが随分歳をとったようだ…」と心配していた。「そうかしらね?」と受け流すエセル…。
チェルシー、エセル、ビリー・レイが湖に行っている間、ノーマンと2人きりになったビル・レイは彼の毒舌に驚きつつすっかり緊張しきってしまい、浮き足立っている。しかし、チェルシーと一緒に寝ることを許してくれたノーマンをもっと知ろうという気になっていた。
今度は、入れ替わりに息子ビリー・レイがノーマンの相手をすることになった。しかし話がかみ合わない2人。進んだ13歳の子供と頑固な80歳の子供といったところか。
エセルが湖から帰ってきた。チェルシーからお願いがあると言って。ヨーロッパに行っている間、ビリーをひと月預かってほしいということだ。エセルは承知した。あとはノーマンの承諾だけだ…。仕様がない。預かることにした。
そうしてノーマンの80歳の誕生日は過ぎていった…。
ある日の夜、チェルシーを除いて皆でゲームをしていた。ノーマンが、チェルシーは負けず嫌いでゲームをやらないと言うと、チェルシーはノーマンに「ゲームより人に勝ちたいんでしょ」と吐き捨てるように言った。親子の確執が見えた瞬間だ。
ノーマンとエセルの一人娘チェルシー(ジェーン・フォンダ)
チェルシーは、ノーマンに何事も認めてもらえないのが悔しいのだ。彼女はこの別荘では相変わらず「おデブちゃん」で「子供」のままなのだ。彼女は子供の頃から“父親は威圧的で、母親は味方しない”と思っていた。
エセルは「グチを言うのもいい加減飽きたはずよ、あなたは大人なの。― 人生は止まらない。乗り遅れないで」そう言うしかなかった。
…そしてチェルシーとビル・レイは、ビリーを残してヨーロッパへと旅立っていった…。残されたビリー・レイは当然面白くない。不安になる2人…。
しかし、ビリーは2人の…ノーマンの人生を豊かにしてくれた。この一見祖父と孫のような2人は湖で飛び込みや釣りを通して友人になった。そしてノーマンが4年越しに夢を見ている大マス「ウォルター」を一緒に釣りに行くまでになっていた。
だが、ノーマンの“老い”は確実に忍び寄る。暖炉の火の不始末を起こし、それをビリーのせいにした。エセルは落ち込むビリーに「ノーマンはあなたに怒ったのではない。人生に怒鳴ったのよ」と言う。「うわべを見ただけで人は理解できないわ。ノーマンも精一杯生きているの。ままならぬ人生をね…。あなたと同じ。」と優しく包み込む。
ノーマンにいつでも優しい眼差しのエセル
ビリーはボートの操縦を任されるまでになっていた。そして、今日はいよいよ「ウォルター」が潜んでいるという“地獄の入り江”に行った。浅瀬で座礁しやすい場所だが、ビリーの案内でボートは上手く進んだ。しかし、ビリーが釣り上げたのはアビの死骸で、ノーマンは釣りに乗り気ではなくなり、天候も悪くなったため帰ることにした。
今度はノーマンが案内し、ビリーが操縦した。しかし、ビリーの手違いでボートは暴走し、案内役のノーマンは湖に落ちてしまう。ノーマンはチェルシーの名を叫び続けていた…。
ノーマンたちが帰らないことに心配したエセルは知り合いに頼んでボートを出してもらって、“地獄の入り江”へ行く。2人を無事見つけたエセルは湖に飛び込み助けに行くぐらい心配していたのだ。
2人は一週間、釣りをしないで過ごした。エセルに禁止されていたのだ。彼女がキノコ狩りに行くと言うので、こっそり釣りに出ようとすると、そこにはエセルの姿が。近場でなら釣ってもいいというお許しが出た2人はいそいそと出かけた。
チェルシーが帰ってきた。ノーマンとビリーがすっかり“親友”になってしまったのに嫉妬しているようだ。
「でも なぜ?」とチェルシーが「私とは友達じゃなかった」と言った。エセルは「何を言うの?彼はあなたのお父さんでしょ」と言う。チェルシーがなりたかったもの…ノーマンと友達になりたかったのだ。
エセルが「何か良い話はないの?」と話題を変えると、チェルシーは「結婚したの」と言った。もちろん、ビル・メイとだ。エセルが、ノーマンも喜ぶわと言うと、チェルシーは、「きっと何とも思わないわ。最低な男だから。」と切って捨てた。その時頬に一発ぴしゃりとエセルにぶたれた。「その最低な男は私の夫よ」と言って。
ボートの2人は奇蹟に格闘していた。ついに「ウォルター」を仕留めたのだ。
ついにチェルシーは決心をして、ノーマンと話し合うことにした。「普通の父と娘の関係を築きたい」と。だが、ノーマンはのらりくらりと話をかわす。チェルシーはやっと「いがみ合うのをやめたいだけ。友達になって!」と言うことが出来た。ノーマンは「もっと頻繁に遊びに来るということか…」と照れながら言う。結婚の報告もした。「うれしいよ、超素晴らしい」とノーマンは言った…。
そしてチェルシーはビリーを連れて、ロサンゼルスへ帰っていった…。
…秋、ノーマンとエセルも別荘を離れるときが来た。荷造りをする2人。ふとノーマンに心臓発作が襲う…。薬を飲ませるが、意識朦朧のノーマン…。ついに来る時が来たのか?
電話で医者を呼ぼうにも、オペレーターが出ない。焦るエセル。ノーマンが「エセル、エセル…」と呼ぶ。気分が良くなってきた…とエセルを安心させる。
エセルは、「初めて私たちは死ぬんだって実感した。横たえたあなたを見た時に、そこに亡がらが見えたの。お棺の中にスーツを着たあなたの姿が…」と言った。「死」は妙な感じだ。寒いというか、でも思ったほど悪くない。怖いより、むしろ安らかで、天国に行くのも悪くなさそうだけど…エセルは泣き崩れた。
そして2人は湖に別れを告げに行った…。
― これも難しいなぁ…。日本人女性の平均寿命の半分にも満たない私が「老い」についてえらそうなこと書いたって、なんか“うそくささ”が付きまとう作品ですねぇ。
母親もこの作品に照らしてみると、まだ「老いつつある」途中、父親がかろうじて「老い」に入ったか?という家族構成…。夫の父親は「老いつつある」途中で亡くなり、2番目の母親は「老い」に入ったか?ですもん…。筆者の本当の父親は「若くして」亡くなり、姉も「若くして」亡くなり、夫の本当の母親も「若くして」亡くなり…複雑だ…。「若い死」の喪失感というのは分かるのだが…。
いや、家庭環境はどうでもいいんだが、私の夫がちょうどビル・レイと同世代…ということは、ジェーン・フォンダの役は私の年齢とも近いのではなかろうか?ビル・レイの両親はすでになく(彼も“喪失”を経験している)、チェルシーの親は「老境」に入ったのだ(もうすぐウチの両親も入るだろう)。父親は心臓が悪く薬を飲んでいて、心配な状態だ…。あと10年たったら本当に分かる作品かもしれない。
テーマは、「老いの死と恐怖」と「親子間の断絶」である。
「親子間の断絶」というのは、ほとんどの人が経験しているのではなかろうか?私は2人姉妹の妹であった。姉妹の間でも両親の愛情をどちらが多く勝ち得るか、競争していた感があったのではないかと今になって思う。大概は「上の子」がさらっていくのだが…。子供の頃の写真の数などものの数にならないほど「最初の子」が多いんだね。やはり、両親に振り向いてほしかった。アメリカ人のように「友だちになってほしい」とは言わないが、「優しい愛情」で包んでほしかったのは確かだ。時に不器用な父親の場合は、なおさらそうだろう。
チェルシーが結婚してヨーロッパから帰ってきたとき、ノーマンとビリーが親友になったことに嫉妬し、ノーマンは「何とも思わないわ。最低な男だから。」と言ったとき、エセルは彼女の頬をぴしゃりと一発たたく。「その最低な男は私の夫よ」と言って…。これは、常々チェルシーが“父親は威圧的、母親は味方しない”と思っていたことを裏付けるものだろうが、ノーマンはただ“不器用”なだけなのではないのか?そして、それほど長い期間夫を強く愛し続けることが出来る妻もまれだ。
私も何十年もこの先、夫を強く愛しぬく事が出来るだろうか?そして、子供との断絶など無く過ごしていけるだろうか?この作品を見て、なんだか不安になってきた…。
しかし、「老い」はなくとも「死んでもいい…」と思っちゃう病気の私は、反対に長生きするんだろうなぁ…。あまり喜ばしいことではない。「死にたくなったときに死ぬ」これが私の夢なのだが、もう何度救われちゃったことか…。
もうこうなったら、「老いの死への恐怖」を味わうまで生きてみるのも悪くはないかな…と思い始めている。
キャサリン・-プバーン特集、これにて終了。いかがでしたでしょうか?
私事にて、これが今年最後のブログになります。皆様、良いお年をお過ごしください。
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