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2007年12月

2007年12月20日

黄 昏

Photo 1981年 <アメリカ>

監督 マーク・ライデル

出演

キャサリン・ヘプバーン

ヘンリー・フォンダ

ジェーン・フォンダ

ダグ・マッケオン

ストーリー

初夏のニューイングランド地方。「ゴールデン・ポンド」と呼ばれる湖のほとりにセイヤー家の別荘があった。引退した大学教授ノーマンと妻エセルが今年もこの別荘で過ごそうとやって来た。もうすぐ80歳を迎えるノーマンは心臓が悪く、死への恐怖は増すばかりであるが、エセルは穏やかな愛情を持ってノーマンを支えていた。そんなある日、彼らの一人娘チェルシーから手紙が届く…。

※ ネタバレです。

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仲睦まじいノーマン(ヘンリー・フォンダ)とエセル(キャサリン・ヘプバーン)

ノーマンは別荘に来ても、新聞の求人欄しか見ない。それとはうって変わってエセルは行動派だ。今日は旧道になっていたイチゴを摘んできた。今度はノーマンがイチゴ摘みにいかされるが、何故かすぐ家に帰ってきてしまう。

そこに、一人娘チェルシーから手紙が届く。ノーマンの80歳の誕生日に恋人と一緒に別荘に来るという。しかし、それを気にかける様子でもないノーマン…。

Photo_3ノーマンはエセルに訴えかけるように言う。すぐ家に戻ってきたのは、旧道までの道がわからず恐怖して、エセルの許へ逃げ帰ったのだと。

エセルは優しくそれを受けとめる。「お昼にイチゴのケーキを食べたら旧道に一緒に行きましょう。何千回も行っているのよ。道だってきっと思い出すわ」と。「よく聞いて。あなたは私にとって輝ける頼もしい騎士よ。馬の上であなたの背中にしがみつくわね。二人でどこまでも行きましょう…」と励ます良妻だ。

Photo_4 …ノーマンの誕生日。チェルシーがやって来た。エセルとは仲が良さそうだが、どうやらノーマンとの関係が上手くいっていないようだ。それでも2人は何事も無かったかのように振舞う。

恋人を紹介されるが…家に入ってきたのは中学生ぐらいの男の子だった…。彼の息子だという。ノーマンと2人きりになると、なかなか生意気な子だ。ノーマンの毒舌も冴える。

恋人の息子ビリー・レイに部屋を案内しているとき、チェルシーがエセルに、「ノーマンが随分歳をとったようだ…」と心配していた。「そうかしらね?」と受け流すエセル…。

チェルシー、エセル、ビリー・レイが湖に行っている間、ノーマンと2人きりになったビル・レイは彼の毒舌に驚きつつすっかり緊張しきってしまい、浮き足立っている。しかし、チェルシーと一緒に寝ることを許してくれたノーマンをもっと知ろうという気になっていた。

今度は、入れ替わりに息子ビリー・レイがノーマンの相手をすることになった。しかし話がかみ合わない2人。進んだ13歳の子供と頑固な80歳の子供といったところか。

エセルが湖から帰ってきた。チェルシーからお願いがあると言って。ヨーロッパに行っている間、ビリーをひと月預かってほしいということだ。エセルは承知した。あとはノーマンの承諾だけだ…。仕様がない。預かることにした。

そうしてノーマンの80歳の誕生日は過ぎていった…。

ある日の夜、チェルシーを除いて皆でゲームをしていた。ノーマンが、チェルシーは負けず嫌いでゲームをやらないと言うと、チェルシーはノーマンに「ゲームより人に勝ちたいんでしょ」と吐き捨てるように言った。親子の確執が見えた瞬間だ。

ノーマンとエセルの一人娘チェルシー(ジェーン・フォンダ)

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チェルシーは、ノーマンに何事も認めてもらえないのが悔しいのだ。彼女はこの別荘では相変わらず「おデブちゃん」で「子供」のままなのだ。彼女は子供の頃から“父親は威圧的で、母親は味方しない”と思っていた。

エセルは「グチを言うのもいい加減飽きたはずよ、あなたは大人なの。― 人生は止まらない。乗り遅れないで」そう言うしかなかった。

…そしてチェルシーとビル・レイは、ビリーを残してヨーロッパへと旅立っていった…。残されたビリー・レイは当然面白くない。不安になる2人…。

しかし、ビリーは2人の…ノーマンの人生を豊かにしてくれた。この一見祖父と孫のような2人は湖で飛び込みや釣りを通して友人になった。そしてノーマンが4年越しに夢を見ている大マス「ウォルター」を一緒に釣りに行くまでになっていた。

だが、ノーマンの“老い”は確実に忍び寄る。暖炉の火の不始末を起こし、それをビリーのせいにした。エセルは落ち込むビリーに「ノーマンはあなたに怒ったのではない。人生に怒鳴ったのよ」と言う。「うわべを見ただけで人は理解できないわ。ノーマンも精一杯生きているの。ままならぬ人生をね…。あなたと同じ。」と優しく包み込む。

   ノーマンにいつでも優しい眼差しのエセル

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ビリーはボートの操縦を任されるまでになっていた。そして、今日はいよいよ「ウォルター」が潜んでいるという“地獄の入り江”に行った。浅瀬で座礁しやすい場所だが、ビリーの案内でボートは上手く進んだ。しかし、ビリーが釣り上げたのはアビの死骸で、ノーマンは釣りに乗り気ではなくなり、天候も悪くなったため帰ることにした。

今度はノーマンが案内し、ビリーが操縦した。しかし、ビリーの手違いでボートは暴走し、案内役のノーマンは湖に落ちてしまう。ノーマンはチェルシーの名を叫び続けていた…。

ノーマンたちが帰らないことに心配したエセルは知り合いに頼んでボートを出してもらって、“地獄の入り江”へ行く。2人を無事見つけたエセルは湖に飛び込み助けに行くぐらい心配していたのだ。

2人は一週間、釣りをしないで過ごした。エセルに禁止されていたのだ。彼女がキノコ狩りに行くと言うので、こっそり釣りに出ようとすると、そこにはエセルの姿が。近場でなら釣ってもいいというお許しが出た2人はいそいそと出かけた。

Photo_7チェルシーが帰ってきた。ノーマンとビリーがすっかり“親友”になってしまったのに嫉妬しているようだ。

「でも なぜ?」とチェルシーが「私とは友達じゃなかった」と言った。エセルは「何を言うの?彼はあなたのお父さんでしょ」と言う。チェルシーがなりたかったもの…ノーマンと友達になりたかったのだ。

エセルが「何か良い話はないの?」と話題を変えると、チェルシーは「結婚したの」と言った。もちろん、ビル・メイとだ。エセルが、ノーマンも喜ぶわと言うと、チェルシーは、「きっと何とも思わないわ。最低な男だから。」と切って捨てた。その時頬に一発ぴしゃりとエセルにぶたれた。「その最低な男は私の夫よ」と言って。

ボートの2人は奇蹟に格闘していた。ついに「ウォルター」を仕留めたのだ。

ついにチェルシーは決心をして、ノーマンと話し合うことにした。「普通の父と娘の関係を築きたい」と。だが、ノーマンはのらりくらりと話をかわす。チェルシーはやっと「いがみ合うのをやめたいだけ。友達になって!」と言うことが出来た。ノーマンは「もっと頻繁に遊びに来るということか…」と照れながら言う。結婚の報告もした。「うれしいよ、超素晴らしい」とノーマンは言った…。

そしてチェルシーはビリーを連れて、ロサンゼルスへ帰っていった…。

…秋、ノーマンとエセルも別荘を離れるときが来た。荷造りをする2人。ふとノーマンに心臓発作が襲う…。薬を飲ませるが、意識朦朧のノーマン…。ついに来る時が来たのか?

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電話で医者を呼ぼうにも、オペレーターが出ない。焦るエセル。ノーマンが「エセル、エセル…」と呼ぶ。気分が良くなってきた…とエセルを安心させる。

エセルは、「初めて私たちは死ぬんだって実感した。横たえたあなたを見た時に、そこに亡がらが見えたの。お棺の中にスーツを着たあなたの姿が…」と言った。「死」は妙な感じだ。寒いというか、でも思ったほど悪くない。怖いより、むしろ安らかで、天国に行くのも悪くなさそうだけど…エセルは泣き崩れた。

そして2人は湖に別れを告げに行った…。

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― これも難しいなぁ…。日本人女性の平均寿命の半分にも満たない私が「老い」についてえらそうなこと書いたって、なんか“うそくささ”が付きまとう作品ですねぇ。

母親もこの作品に照らしてみると、まだ「老いつつある」途中、父親がかろうじて「老い」に入ったか?という家族構成…。夫の父親は「老いつつある」途中で亡くなり、2番目の母親は「老い」に入ったか?ですもん…。筆者の本当の父親は「若くして」亡くなり、姉も「若くして」亡くなり、夫の本当の母親も「若くして」亡くなり…複雑だ…。「若い死」の喪失感というのは分かるのだが…。

いや、家庭環境はどうでもいいんだが、私の夫がちょうどビル・レイと同世代…ということは、ジェーン・フォンダの役は私の年齢とも近いのではなかろうか?ビル・レイの両親はすでになく(彼も“喪失”を経験している)、チェルシーの親は「老境」に入ったのだ(もうすぐウチの両親も入るだろう)。父親は心臓が悪く薬を飲んでいて、心配な状態だ…。あと10年たったら本当に分かる作品かもしれない。

テーマは、「老いの死と恐怖」と「親子間の断絶」である。

「親子間の断絶」というのは、ほとんどの人が経験しているのではなかろうか?私は2人姉妹の妹であった。姉妹の間でも両親の愛情をどちらが多く勝ち得るか、競争していた感があったのではないかと今になって思う。大概は「上の子」がさらっていくのだが…。子供の頃の写真の数などものの数にならないほど「最初の子」が多いんだね。やはり、両親に振り向いてほしかった。アメリカ人のように「友だちになってほしい」とは言わないが、「優しい愛情」で包んでほしかったのは確かだ。時に不器用な父親の場合は、なおさらそうだろう。

チェルシーが結婚してヨーロッパから帰ってきたとき、ノーマンとビリーが親友になったことに嫉妬し、ノーマンは「何とも思わないわ。最低な男だから。」と言ったとき、エセルは彼女の頬をぴしゃりと一発たたく。「その最低な男は私の夫よ」と言って…。これは、常々チェルシーが“父親は威圧的、母親は味方しない”と思っていたことを裏付けるものだろうが、ノーマンはただ“不器用”なだけなのではないのか?そして、それほど長い期間夫を強く愛し続けることが出来る妻もまれだ。

私も何十年もこの先、夫を強く愛しぬく事が出来るだろうか?そして、子供との断絶など無く過ごしていけるだろうか?この作品を見て、なんだか不安になってきた…。

しかし、「老い」はなくとも「死んでもいい…」と思っちゃう病気の私は、反対に長生きするんだろうなぁ…。あまり喜ばしいことではない。「死にたくなったときに死ぬ」これが私の夢なのだが、もう何度救われちゃったことか…。

もうこうなったら、「老いの死への恐怖」を味わうまで生きてみるのも悪くはないかな…と思い始めている。

キャサリン・-プバーン特集、これにて終了。いかがでしたでしょうか?

私事にて、これが今年最後のブログになります。皆様、良いお年をお過ごしください。

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2007年12月15日

去年の夏突然に

Photo 1959年 <アメリカ>

監督

ジョセフ・L・

       マンキーウイッツ

出演

キャサリン・ヘプバーン

エリザベス・テイラー

モンゴメリー・クリフト

アルバート・デッカー

ストーリー

1937年、アメリカ南部ニュー・オリンズ。ライオンズ・ビュー州立病院の若い外科医クックロウイッツ博士はロボトミー手術に成功し、注目を集めていた。彼は市の金持ちの未亡人ビネブル夫人の風変わりな邸に招かれ、病院を寄贈するのを条件に、聖メアリー病院に入院中の姪キャサリンの手術を依頼される…。

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      ビネブル夫人(キャサリン・ヘプバーン)

緊急の用件だということで、予定の時間通りやって来たクックロウイッツ博士の目の前に、エレベーターからビネブル夫人が詩的に降りてきた。そして、息子“セバスチャン”の愛した庭園に案内される。

“セバスチャン”の庭園は、原始の熱帯雨林だ。彼が生物の進化を嫌って作った庭だという。

彼女は息子を亡くしたのに、まるでいまだに生きているかのように話す。息子と私は一心同体で有名だったと。“セバスチャンとバイオレット”。それが2人だった。…それが去年の夏突然に…終わったのだ。

ビネブル夫人の姪も、去年の夏突然に錯乱を起こし始めたのだという。彼女は“セバスチャン”と一緒に欧州旅行に行っていたのだ。今は聖メアリー病院に入院中だが、退院を迫られているという。卑猥な言葉や、“セバスチャン”の人格を傷つけるようなことを口走るようだ。その時クックロウイッツ博士の記事を新聞で読んで、彼女を救うことが出来るのではないかと思いたったのだという。

博士はビネブル夫人の姪に会うことを了解した…。

… 聖メアリー病院。クックロウィック博士は、ビネブル夫人の姪、キャサリンの様子を影から診ることにした。別段変わったところはない。タバコが吸いたいだけの女性だ。しかし博士と2二人きりになると、攻撃的な性格を覗かせる。本当にビネブル夫人が言ったとおりの女なのだろうか?

自分は正気だとキャサリンは言う。そこでクックロウイッツ博士は彼女に“セバスチャン”のことを聞いた。キャサリンは、「彼に好かれ、私も愛しました。…彼の流儀で」と言う。

ふとキャサリンは、「カベサ・デ・ロボで…」と言った。去年の夏彼と過ごし、彼が死んだ所だ。博士が彼の死因を聞くと、ビネブル夫人と同じく「心臓マヒで」という答えだ。その直後自分はおかしくなったのだとキャサリンの告白は続く。「何も覚えていない」と言うキャサリンに、クックロウイッツ博士は「“セバスチャン”と去年の夏のことを思い出すのだ」と言う。

そしてキャサリンは、去年の夏のことを回想し始める…。しかしそれも途中までだった。キャサリンの助けの言葉が響く…。我を忘れて泣き出す。

キャサリンはクックロウイッツ博士に助けを求めた。博士はそれを受け入れた…。

… ライオンズ・ビュー州立病院の敷地の向かいに、もうすでに「セバスチャン・ビネブル記念病院」の設立工事が始まっていた。しかし、クックロウイッツ博士の表情は浮かない。キャサリンは手術に値する患者ではない…と思っているのだ。去年の夏に起こったことを全て思い出せば彼女は開放される。博士はそう思っていた。

しかし、クックロウイッツ博士は、「あなたを助けたい。信じてください」としか言うことしか出来ない。キャサリンは、「信じたいわ。私には確かに助けが必要よ…」と言う。見つめあう2人…。

ベネビル夫人が病院へやって来た。クックロウイッツ博士に“セバスチャン”の最後の「夏」の詩集をあげた。博士は夫人に“セバスチャン”の死因を詳しく教えてくれと迫った。やはり「心臓マヒ」でやり過ごされてしまった…。しかし博士はどうしても“セバスチャン”の死んだ事情を知りたいのだ。それでなければキャサリンを救えない。

Photo_5そして、私のためにキャサリンと話をしてくれと頼んだ。ビネブル夫人は最初は躊躇したが、キャサリンの部屋へと向かった。

眠るキャサリンに、ビネブル夫人は「美しいですね…」と羨望の眼差しを彼女に向ける…。

目覚めたキャサリンはそこにいたビネブル夫人に向かって牙をむく。“セバスチャン”が死んだのはあなたのせいだと。しかし夫人は冷静にやり過ごし、部屋を出て行った。

ビネブル夫人、クックロウイッツ博士(モンゴメリー・クリフト)キャサリン(エリザベス・テイラー)

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サンルームでビネブル夫人が博士を待っていると、彼はキャサリンを連れてきた。キャサリンがもう一度夫人と話がしたいという。

去年の夏、自分が“セバスチャン”の旅に同行したのは、彼が来いと言ったからだ。夫人は病気で旅は無理だと。でも一人旅は嫌だから自分に行こうと言ってきたのだ。

「そして死んだ」とビネブル夫人ははき捨てるように言った。「彼に恋したのね、去年の夏」とキャサリンを責めるように言う。キャサリンは、「あなたに代わって与えようとしました。優しい理解と愛情を…」夫人はキャサリンの言葉をさえぎる。「息子と私の信頼は比類のないもので神聖な契約でした。彼はその契約を破り私を置いて彼女と旅に出たのです。」怒りに燃えるビネブル夫人…。キャサリンの言葉など信じようともしない冷徹な目…。

するとキャサリンは言った。「彼があなたを必要としたのは、利用できる間だけ。若くて魅力のある間だけだった」と。「彼が家を出たのは、母親の魅力が失われたからだ」と言った。「彼はオモチャのように母親を捨て、新しいオモチャの私を連れて旅に出たのです」と、クックロウィック博士に告白した。「私たちは獲物をおびき寄せる道具でした。セバスチャンの釣りの餌です。」「彼女は良い魚を誘う力を失って捨てられたわ」動揺するビネブル夫人をよそにキャサリンの告白は続く。「内気なセバスチャンの代わりに華やかな所で男集めを…私も伯母と同じことをしました…彼に男を紹介する役を!」

ビネブル夫人はめまいを起こし倒れこんだ…。

…そしてキャサリンは自殺をしようと、女性患者の懇談場所の柵から身を乗り出した…。すんでのところで医師に助け出された。

Photoクックロウイッツ博士は、キャサリンにある実験を施すことにした。場所は“セバスチャン”の庭だ。

その前に、博士は何故自殺未遂を起こしたか聞いた。キャサリンは言う。みんなが私の死を望んでいるはずだ。母と兄もお金が貰え、あなたにも病院が…と。

クックロウイッツ博士は両手をキャサリンの前に出し、「ここへあなたの抵抗を全て渡しなさい。あなたの手から私の手へ…」と言った。キャサリンは博士の手を握り、「私の手よ。抵抗などないわ」と、博士にすがるような目で言った。真実をありのままに話すことを約束した。そして急にクックウイッツ博士の手を解き、2人は抱き合い、キスを交わした。

そしてキャサリンとクックウイッツ博士は“庭”へと歩を進め、キャサリンは博士に言われたとおり、“セバスチャン”との去年の夏の恐ろしい出来事を話し出すのだった…。

― この話は難しいなぁ…。実に難解。思いっきりストーリー解説が長くなってしまったじゃないか…。マンキーウイッツ監督は無難にまとめているという感じてすね。

“セバスチャン”という死んだ息子の汚点を隠すために、その夏一緒に欧州を旅行していた姪を精神的錯乱が冷めないうちに、ロボトミー手術で黙らせてしまおうという市の有力者の未亡人ビネブル夫人と、実際に彼女に会ってみて手術は必要はないと思い、原因はやはり、去年の夏に“セバスチャン”と一緒に行った旅行に鍵があると見た精神外科医クックウイッツ博士。

そして、「患者」キャサリンが語った“セバスチャン”との去年の夏の体験は、誰もが予想だにしなかった衝撃的なものだった…。

結局キャサリンが州立病院でビネブル夫人に食ってかかったように、彼女たちは“セバスチャン”の歪んだ性を満足させるために選ばれた“餌”にすぎなかった。

ビネブル夫人がいくら息子“セバズチャン”と自分が特別な精神的に結ばれた関係にある、特別な関係の2人なのだ…と話を飾ってみても、結局は“女”としての賞味期限が過ぎたと“セバスチャン”が感じるや、あっさりと捨てられるのである。

キャサリンの告白が続くなか、度々ビネブル夫人の手のアップが写される。それは、老いた女の手でしかない…。(女の「老い」は手から忍び寄るのだ…)

ピネブル夫人自体は、自分の「老い」のために今までの2人きりでの旅行がキャンセルされたなどとは認めないところだろう。“セバスチャン”の「夏の詩」も彼女がいたから完成できたと思っているのだから。

しかし「ビネブル夫人」に、キャサリン・ヘプバーンはちょっと軽かったという印象を受けた。彼女はどちらかというと、「喜」に傾いている女優さんだと思うのだけれど、「ビネブル夫人」はもっと、堂々と重さを持った女優さんが演じたほうが迫力が数段違ったと思うのは私だけであろうか?

反対に、エリザベス・テイラーは大熱演。ヘプバーンを完全に喰ってましたね。

モンゴメリー・クリフトは、交通事故からの顔のダメージが多少影を落としているような感じで、演技も凄い…とは言い切れないのが残念なところか。

しかし、1930年代~40年代はキャサリン・ヘプバーンは、化粧は嫌い、スカートは嫌い…と「女性らしさ」をとことん嫌っていた感があったのが、50年代に入ると彼女もやはり「女」だったのかぁ…と思わせる。51年の「アフリカの女王」から、衣装は常にハイネックだし、この作品では常に手袋をしている。

だから、「手のアップ」のシーンで監督とモメた。プロデューサーとモメた。彼女の出番が全て終わったときに、「ホントにホントに私の出番は終わったのね?」と確認して、ペッと2人にツバを吐きかけたのは有名な話だ…。

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2007年12月 8日

旅 情

Photo 1955年 <イギリス>

監督

デイヴィッド・リーン

出演

キャサリン・ヘプバーン

ロッサノ・ブラッツィ

イザ・ミランダ

ストーリー

アメリカの地方都市で秘書をしている38歳のジェーン・ハドソンは欧州見物の夢を実現し、ヴェニスまでやって来た。フィオリナ夫人の経営するホテルに落ち着いた彼女は、相手もなくたった一人で見物に出かけ、サン・マルコ広場に来て喫茶店のテーブルに腰を下ろした。しかし、背後からじっと彼女を見つめる中年の男に気づくと、あたふたとその場を後にするのだった。ロマンスを求めてやって来た割には消極的なジェーンなのだった…。

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ロマンスを求めてやって来たジェーン(キャサリン・ヘプバーン)

まず、タイトル・ロールからして上手い。絵で、ジェーンの旅行を見せる。船に乗ってロンドンへ。そして飛行機に乗ってパリへ。そして列車でヴェニスへ…。そして本物の列車になる。

運河を通る水上バスから見るヴェニスの家々が美しい。そして、どこにでもいる騒々しいアメリカ人の観光客…。

そして孤独なジェーンは、寺院の鐘に誘われるままにサン・マルコ広場へ。喫茶店で若い女性にカメラを回していると、イタリアの男性は彼女たちの“脚”に興味を持ってついて行った。唖然とするジェーン。しかし、今度は景色に向けてカメラを回すジェーンの“脚”に注目する男がいた。

   ジェーンに興味を持った男(ロッサノ・ブラッツイ)

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ふと、視線を感じ振り向き、目が合うとジェーンはたちまちアタフタしてしまう。サングラスをかけ、ウエイターに清算を頼もうにも、誰も相手にしてくれない。結局、その男がウェイターを呼び、なんとも情けない気持ちでサン・マルコ広場を後にするジェーン…。

翌日、ジェーンの観光は積極的だ。知り合った浮浪児マウロを従え、カメラを回す。そして彼女はある店で、見事なベネチアン・グラスを見つけた。店主が対応に出てきた。このゴブレットは18世紀のもので1万リラだという。気に入った様子で魅入るジェーン。しかし、店主に「サングラスをはずされては?」と言われ、はずすと、そこには昨日の男がいた。ディ・ロッシという男だ。驚き慌てふためくジェーン…。ヴェニスでの買い物の方法でも2人はもめた。そしてジェーンは根負けし、男の言い値でゴブレットを買った。

Photo_6しかし、ジェーンの孤独は消えず、またサン・マルコ広場に足が向いた。一緒のホテルに泊まっている客がジェーンの視界に入ったので、彼女は1人ではないように見せようと、テーブル側に椅子を倒した。そこにちょうど、ディ・ロッシがやって来る。しかし彼も勘違いし、挨拶だけで通り過ぎて行った…。泣きたくなるジェーン…。

翌日も1人で精力的に歩くジェーン。マウロと、サン・バルナバス広場へ行く。なんとその広場は、ディ・ロッシの店の前だった。彼が店に不在でなぜか安心するジェーン。そしてカメラを回し始めたはいいが、運河に落ちてしまう。なんとも恥ずかしい思いをするジェーン…。ヴェニスには運が無いのかも知れない…。

ホテルに着いてみたら、ディ・ロッシが尋ねてきていた。そして彼は、ジェーンに「運命を感じた」と告白するが、ジェーンは突っぱねる。しかし彼はひるまない。「愛はそう難しく考えるものではない」と。「2人は出会い、愛を感じた。素敵なことだ。どこが悪い?」と。

そこに邪魔者が。同じホテルに住むアメリカの騒々しい夫婦だ。彼女はベネチアン・グラスを半ダースも買い物してきたという。包装を解いて見せてくれた。ジェーンのと全く同じだった…。そして口論になる2人…。しかしイタリア男は口が上手い。今夜サン・マルコ広場でコンサートがあるから一緒に行こう。コンサートの後のことは運命の女神の手に…と行って帰った…。

コンサートの夜、2人は愛を感じあった。花売りが来て、ジェーンはクチナシを選んだ。彼女の説明では、昔、本格的な社交界があって、それに出るためにクチナシをつけようと思ったのだが、1本2ドルもしたし相手は学生だったからあきらめた夢の花だった。

その花をジェーンは橋から運河に落としてしまう。ディ・ロッシが懸命に拾おうとするが、流れて行ってしまった…。そして、いつしかジェーンは彼を「レナート」と呼ぶようになっていた。

翌日、レナートとのデートのためジェーンは、買い物をしめかし込みサン・マルコ広場まで出かけた。しかし、彼は来ない。代わりに「甥」が少し遅れると伝言しに来た。しかし、彼は「甥」ではなく、レナートの「息子」だったのだ。「母親」も健在とのこと。胸がつぶれそうになるジェーン…。そして彼の息子に「来る必要はないと伝えて」と言って、その場を立ち去った。

ホテルに帰ったジェーンは、フィオリナ夫人と滞在している画家が不倫の関係にあり、その橋渡しをマウロがしていることに激怒した。そこにレナートが現れる。ジェーンはレナートが結婚していたことを隠していたことに憤慨していた。「何故?言って!」と責める。レナートは、「怖かった…。始まらないうちから、君が逃げてしまうのが…。」と言う。ジェーンはそれでも責め立てる。「フィオリナ夫人と同類だわ」とさげすむが、レナートは違う。「混同しないでほしい。ただ彼女も生身の人間。責められない。」と言うのだ。なおも責めるジェーンに、レナートは諭すように「君の夢はゴンドラで、ヴェニスの美しさに酔い、甘い歌に聞きほれること。金持ちで若い独身男性との素敵な出会いだった。私は若さも財産も持たない、美男でもなく既婚者だ。」「…だが男だ。…君は女だ。」「“汚い”とか“不倫”とか、ケチをつけず、空腹ならある物を食べるんだ。」と言う。

しかし、気が治まらないジェーンは1人で出かけるという。だが、いつか2人の間の“氷”は解けていた…。そうしてジェーンは「女」としての“華”を咲かせたのだった…。

そして2日間、夢のような日々を過ごし、ジェーンは決断する…。

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― コッテコテの「観光恋愛映画」ですね。ロマンスを求めてやって来たヴェニスで、相思相愛の相手が見つかったはいいが、その相手が(別居はしているものの)既婚者だったという悲劇。

そして、いままでたいした恋愛経験もなく、「恋愛」とは、かくも清潔で美しくあらねばならないという概念が根底から崩れてしまった悲劇。

イタリア人とアメリカ人の「恋愛感」のすれ違いの悲劇。

ジェーンとレナートの悲劇は少しだけ手がとどかなったことだ。クチナシの花のように…。

レナートがいみじくも言うように、ジェーンの“ロマンス”は、「ゴンドラで、ヴェニスの美しさに酔い、甘い歌に聞きほれ、金持ちで若い独身男性との素敵な出会い」だったはず。しかし、本当に愛したのは、「若さも財産も持たない、美男でもない(?)既婚者」だった。

しかし、イタリア男の「一度見つめあったら、押して押して押しまくる」という精神は凄いなぁ…。こんな風に情熱的に愛してほしいと思わせるものがある。

脇役もなかなか。厚顔無恥なアメリカの夫婦は特に傑作だ。これが「アメリカ人万人の代表」というのがいいね。

ただ、ストーリーは時を経て、多少古くなっていると感じずにはいられない。

「働く独身女性」が観光旅行を平気で1人でする時代だし、ロマンスにも積極的だ(こっちから誘うくらいだもの)。アバンチュールと思えば、“不倫”だってなんのそのだろう。「愛しているから別れるの」というジェーンはもう遠い存在でしかない。

しかし、その「古臭さ」がかえって“新鮮”と感じる、ハッとさせられるシーンや台詞もいっぱいだ。

そして、監督のデイヴイッド・リーンであるが、この作品を撮りたかったというわけではなく、荘厳なヴェニスの街を撮りたいから、この作品を選んだ…と言っても過言ではないほど、彼のヴェニスは美しく雄弁だ

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2007年12月 4日

アフリカの女王

Africanqueen 1951年 <イギリス>

監督

ジョン・ヒューストン

出演

ハンフリー・ボガート

キャサリン・ヘプバーン

ロバート・モーレイ

ピーター・ブル

ストーリー

1914年、欧州で戦乱が起こった頃、アフリカのドイツ領コンゴではドイツ軍が村の掠奪を行い、宣教師はそのショックで死んでしまった。彼の妹、ローズ・セイヤーは天涯孤独の身となったところを、食料や郵便を配る「アフリカの女王」号を操る、カナダ生まれの飲んだくれの男チャーリー・オールナットに引き取られた。ローズは兄の無念を晴らしたく、ドイツ軍に復讐を誓うが…。

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兄を亡くしたローズ(キャサリン・ヘプバーン)とチャーリー(ハンフリー・ボガート)

兄がなくなった朝、チャーリーはやって来た。以前とは全く違う風景に愕然とする彼。兄を葬り、ローズはチャーリィと急いで「アフリカの女王」号へ乗った。

「アフリカの女王」号は一見ボロ船だが、積荷をドイツ軍に狙われているらしい。確かに、爆弾・酸素ボンベ・缶詰…連中の欲しいものばかり積んである。

Photo

「アフリカの女王」号に乗ったはいいものの、いきなり舵を頼まれ不安を隠せないローズ。だが、今の場所から脱出する方法を考えださねばならない。

Photo_3 ふと、ローズは船の荷の中に爆発性ゼラチンと酸素ボンベ、水素ボンベを見つける。これを“魚雷”として使えないか?チャーリーは鉱山では機械屋だった。何でも修理出来、何でも作れる。ボンベに爆発性ゼラチンを入れ、“魚雷”を作り、それをドイツ軍最大の砲艦「ルイザ号」へ打ち込めばいいとローズは言ってのけた。あきれるチャーリー…。

翌日、船は順調に進んでいく。ローズの舵取りも随分成長したが、急流に行き当たる。ここは、チャーリーの出番だ。絶妙なタイミングで荒波をかき分け、「アフリカの女王」号は河を進んだ。

チャーリーが、「急流下りはさぞ怖かったろう?」と聞くと、ローズは「全身の血が沸き立つようだったわ。こんな高揚感は久しぶり。聖霊が乗り移ったときの兄の説教以来!!」と興奮していた。「この先はもっとすごい早瀬だ。もみくちゃになるぞ。」と言っても、彼女は「わくわくする。船って最高!あなたが夢中になるわけね。」と、彼の話など聞いちゃいない。またまたあきれるチャーリー…。

Photo_4日没が来て、船を泊めるチャーリー。しかし、ご機嫌ななめだ。ずっとジンを飲んでいる。彼女のとても出来そうもない要求に苛立っているのだ。ローズの提案をことごとく退けるチャーリー。彼のほうがこの川を知っているのだ。川の怖さも…。彼がローズの提案を「約束した覚えはない。」と言うと、彼女はチャーリーをうそつき、そして意気地なしだとなじる。するとチャーリィは「兄貴を亡くして哀れだと思って乗せた。同情につけこみやがって」と言うではないか。

翌日、チャーリィが目覚めると、なんとローズはジンを片っ端から河に捨てていた…。そしてあくまでもローズはチャーリーに、川を下ることを要求し続けていた。もう彼女の言いなりになるしかないチャーリー…。

鳥が飛び立ち、ワニが川に入る…。そして「アフリカの女王」号は進んでいく。厳しい旅が始まった。ショーナ砦ではドイツ軍の銃撃に遭い、エンジンに穴が開くもののなんとか敵をやり過ごし、激流に飲み込まれそうになりながらも川を下った。

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喜びをたぎらせる2人。思わずキスしてしまう2人。そして気まずくなる2人…。自分たちが?信じられないと思う2人だったが、愛する気持ちが2人の間に生まれていた。

しばらくはゆったりと川くだりを楽しんでいた2人だったが、突然滝が目の前に現れ、船を飲み込んだ。何とか生還できたものの、船の損傷は免れなかった。船体自体は無事だったが、シャフトとスクリューをやられていた。修理が必要だ。

Photo_6水中でシャフトをはずし、ふいごで火を起こし、シャフトのゆがみを直し、スクリューの羽根は溶接でつけた。ローズの知恵の勝利だ。いや、2人のいたわりの勝利だ。そして船は動き出した…。

蚊の大群に襲われ、アシの迷路をずっと回った。チャーリーが船を引き、ローズがアシを掻き分けた。しかし、出口は見つからない。2人とも疲れきってしまった。チャーリーは絶望した。ローズはただ神に祈るしかなかった…。

倒れきった2人の下に大雨が降った。その雨が川となって船をアシの迷路から湖へ脱出させてくれた。これはまさしく奇蹟だ。

そこに、ドイツ軍の砲艦「ルイザ号」が現れる。慌てて船を隠すチャーリー。…そして2人は“魚雷”を作るのだった…。

― 「アフリカの女王」号という船を操るカナダ人の飲んだくれの船長チャーリー・オールナットと、厳格な宣教師の妹ローズ・セイヤーが繰り広げる、「冒険物語」。まったく釣り合わない2人がぶつかり合いながら、いたわりあいながら、いつしか愛し合っていく…。

そして、ローズが兄の無念を晴らそうと、ドイツの砲艦「ルイザ号」に「アフリカの女王」号もろとも“魚雷”となってぶつかり爆破させる…という奇想天外な作戦を編み出す。それにはチャーリーは無理だと話を聞かないが、ローズの意志は固かった。

なんとも、ボギー扮するチャーリーが腹立ち紛れに言う、「ガリガリの行き遅れ」にぴったりなキャサリン・ヘプバーンなんである。はじめは、チャーリーに対してお高くとまっている身持ちの固い女性。船の上でも自分の生活時間は変えない。チャーリーが何か皮肉を言おうと、聖書を読んで彼を無視する余裕がある。あくまでもチャーリー川を下れと命令口調な、彼にとってはとっても腹立たしい女でしかない。

ボギー扮するチャーリーは、普段の映画のタフで冷静な男…とは言いがたいが、実に魅力的な飲んだくれの男だ。ローズに「ガリガリの行き遅れ」と言ってしまったため、ジンを全て川に捨てられてしまい、その後は彼女の言いなりにならざるを得なくなる、ちょっと情けない男だが、「アフリカの女王」号のことは熟知しており、一番大切なものなのだ。

そんな2人が、激流に飲まれ、滝に打たれ船をダメにされ、アシの迷路につかまり、もうこれまでか…となる。しかし、神の思し召しか何度も救われ、ついに敵のドイツ軍の砲艦「ルイザ号」を見つけ、チャーリーとローズは“魚雷”を作り、自爆作戦に出る…。

この作品は、ほとんどが2人きりのシーンの映画だ。しかし魅力を振りまいているのは、やはりボギーなんである。ケイト・ヘプバーンもそこそこ健闘はしているものの、やはり「ガリガリの行き遅れ」でしかないのだ。ボギーにとっては新しいタイプの役を挑戦したわけだが、それが魅力たっぷりな可愛らしくもある(と、言っては失礼かな?)男に仕上がっている。アカデミー主演男優賞も納得かなと思わせる。

ケイト・ヘプバーンにとっては、ジョン・ヒューストン監督が指導した、「エレノア・ルーズベルトの笑顔で!」というのが、少々オーバー・アクトにつながったかな?

ジョン・ヒューストン監督が、象狩りに命をかけたという、アフリカの美しい自然にも注目だ。

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