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2008年10月

2008年10月22日

ロード・トゥ・パーディション

4 2002年<アメリカ>

監督 サム・メンデス

出演

トム・ハンクス

ポール・ニューマン

タイラー・ホークリン

ダニエル・クレイグ

ジュード・ロウ

ストーリー

1931年、イリノイ州ロックアイランド。よき夫であり、2人の息子の父親でもあるマイケル・サリヴァンには町を牛耳るアイルランド系マフィアの幹部という裏の顔があった。サリヴァンはボスのジョン・ルーニーから息子のように愛されていたが、そんな父ジョンを実子コナーは苦々しく思っていた。ある日、ルーニーの豪邸で営まれた通夜の席、酔った勢いで彼に批判的なスピーチをした男をサリヴァンは止め、車に押し込め家に帰した。費を改めコナーと一緒に話し合いに入るサリヴァンだったが、コナーはかっとなり男を射殺する。その時、破れたドアの下から誰かに見られていることをサリヴァンは気づく。それは、車の座席の下に隠れて付いてきた息子マイケルだった…。

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実の親子のようなサリヴァン(トム・ハンクス)とジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)

ジョン・ルーニーは、サリヴァンの息子のマイケルとピーターも孫のように思っていた。それが、コナーを追い詰めていく。

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   サリヴァンの息子マイケル(左、タイラー・ホークリン)

組織の幹部会で男を殺した件を父に責められたコナーは、父への恐れやサリヴァンへの嫉妬と憎悪、それに殺害現場をマイケルに見られたことから、サリヴァン一家を抹殺することを決意する。

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   ジョン・ルーニーの息子コナー(ダニエル・クレイグ)

自ら妻アニーと次男ピーターを殺害。学校で喧嘩をしたため家へ帰るのが遅れたマイケル。自分を殺そうとした男を返り討ちにし、息子の危機に気づいて家に戻ったサリヴァン。2人は突然の悲劇にどうすることも出来なかった…。

サリヴァン父子はシカゴへ旅立つ。マイケルを守りコナーに復讐するために、シカゴのイタリア系マフィアをアル・カポネの逮捕後牛耳るフランク・ニッティを訪ね支援を仰ぐが、すでに彼の許にはルーニー父子が来ていた。2人の“息子”の狭間でルーニーが選んだのは、デキが悪くとも血のつながったコナーだった。そしてルーニーはニッティにサリヴアン殺害を命令するのだった。ただし、マイケルは殺さずに…。

そしてニッティは殺し屋マグワイヤをサリヴァンに差し向ける…。

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殺害現場を撮るのが趣味と仕事の殺し屋マグワイア(ジュード・ロウ)

― 父親と息子の絆の物語。

サリヴァンとマイケルの父子は6週間旅を続ける。妻子の仇を討つための旅。いつもは遠い存在だった父親が旅を続ける間に、マイケルを思う心の優しい父親だと気づく。そして2人は“本物”の父子になるのだ。サリヴァンはマイケルを守り、マイケルもサリヴァンを守るのだった。2人は妻アニーの姉のサラ伯母を頼ってパーディションまで行くことにするが、マグワイアの出現により、進路を変更する。

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サリヴァンは恐ろしく頭の切れる男だった。逮捕されたとはいえ、いまだにシカゴの裏社会に影響力を及ぼしているアル・カポネの預金を強奪するという行動に出る。それはニッティを追い詰め、つまりはルーニー父子をも追い詰めることになるのだ。

ジョン・ルーニーとコナー父子は最後まで“本物”の父子にはなれなかった。サリヴァンよりコナーを選んでも、ルーニーはコナーを持て余した。息子に絶望せずにはいられなかった。しかし実子だ。ケチな悪党でも迫りくるサリヴァンの手からは守ってやるつもりだった。断腸の思いでサリヴアン殺害を依頼するルーニー。しかし徹底して“悪”にはなりきれなかった。マイケルを殺さないという情けが、サリヴァンに対する“親心”として現れる。そして、サリヴァンより劣ると自分でも知っているコナーは父親を恐れ続け、憎んだ。

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サリヴァンとルーニーの最後の話し合いは胸に迫る。お互い“父親”として2人は対決する。自分の父親さえ裏切っていたコナーへの制裁を迫るサリヴァンと、自分には出来ないというルーニー。自分たちはサリヴァンに追い詰められた。カポネの制裁がいずれ来たら、その時コナーのために泣こう。そしてルーニーはサリヴァンに、マグワイアに殺されたくなかったら、アメリカを捨てアイルランドへ今すぐ渡れと言う。それがマイケルのためにもなるのだと。

“信頼と愛”を勝ち得た父親と、“恐れと憎しみ”を抱かせた父親。そして“慈悲”を祈る「父親」。やはりルーニーはサリヴァンを「息子」としてみていたのだ。その愛情はルーニーに対する愛情とは違い、実に細やかで慈悲深いものだった。

「父親」と「息子」という関係は、遠い関係のように見えて、実はとても奥が深いものなのだと感じた。

「母親」とは何か違って、「父親」という不可思議な存在。男同士の遠慮がちで遠巻きから見るような関係は、息子を正面から守るとても勇敢な、しかし簡単な愛の証明によって乗り越えることができるのだ。マイケルとサリヴァンはそれに成功して「本物」の父子になった。ルーニーもコナーを愛しはしたが、もう一人本物の息子より自慢の息子がいたことが「本物」の父子になれなかった原因だろう。

トム・ハンクスがこんなに良い俳優になっていたとは、大いなる驚きと称賛。(なにせ初期のコメディで私の彼に対する実力は止まってしまっていたのだ!!)ポール・ニューマンと互角に渡り合っているなんて、さすがオスカー2度取ってないですね。

そしてポール・ニューマンは、貫録たっぷり、余裕たっぷり、そして繊細に「父親」の悲しさを表現していて、本当に彼の演技は心に沁みる。歳を経て良くなっていく俳優の見本ですね、彼は。

「熱いトタン屋根の猫」「ハスラー」の頃は、まだ“演劇臭”が抜け切れず、若さもあってかギラギラしていた。「暴力脱獄」を経て、「スティング」「スラップショット」では力加減がいいように抜けてきて、「評決」で円熟の期に達した。そして枯れた魅力の「メッセージ・イン・ア・ボトル」とこの作品。本当、良い俳優だった。

改めてご冥福をお祈りいたします。

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2008年10月20日

メッセージ・イン・ア・ボトル

1_5 1999年<アメリカ>

監督

ルイス・マンドーキ

出演

ケヴィン・コスナー

ロビン・ライト・ペン

ポール・ニューマン

ジョン・サヴェージ

ストーリー

離婚間もないシングルマザーのテリーサは、息子が父親と一緒に過ごす間、休暇を過ごしていた海岸でジョギング中に、手紙の入ったボトルを拾う。それは、キャサリンという名の女性に宛てた誠実な愛情に満ちた言葉が書かれていた。その内容に胸を打たれたテリーサは調査員として働くシカゴ・トリビューン紙のオフィスにその手紙を持っていくと、女性たちのすべてがこの手紙に感動する。それを見たテリーサのボスのチャーリーは手紙を新聞に全文掲載してしまう。テリーサは憤慨するが、読者の反応は大きかった。テリーサは瓶が拾われた場所や海流の関係、便箋やタイプライターの種類などから、手紙を書いたと思われる男性ギャレット・ブレイクを見つけ、早速会いに行くが…。

※ ネタバレです。

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ボトルの中の手紙の主を探すテリーサ(ロビン・ライト・ペン)

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ギャレット(ケヴィン・コスナー)と、ドッジ(ポール・ニューマン)ブレイク親子

テリーサは、ノースカロライナ州アウター・バンクスに飛び、ヨット・ハーバーでギヤレットと出会う。初対面の2人だか一目で惹かれあった。テリーサがアウター・バンクスに滞在する間に2人の中は急接近する。

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しかし、ギゃレットは2年前に亡くなった妻キャサリンを今でも愛しており、遺品もそのままにして暮らしているのだった。ギャレット自慢の手造りの船も、彼女の死後手を着けずに未完成だった。

9テリーサはついにこの地に来た本当の目的をギャレットに言えないまま、アウター・バンクスを後にする。

今度はギャレットがシカゴへやって来る。テレーサの家に滞在し、仕事場を訪ね、彼女を知ろうとするギャレット。

ついに2人は結ばれる。しかし、偶然ギャレットはテリーサの戸棚の引き出しから、自分が書いた手紙とボトル、そして新聞のコラムの切り抜きを見つけてしまう。混乱し、怒り心頭のギャレットはテリーサの許を去ろうとするが、手紙は3通あった。ギャレットが海に流したのは2通…。1通はキャサリンが書いたものだった。

「海や港にあるすべての船へ

家族 友人 見知らぬ人々へ

これは伝言であり 祈りです

旅をして真実に気づきました

誰もが探し求めて得られぬものを

私は手にしていると

それは生涯 愛する人です

彼は海に魅せられたアウターバンクスの住人

素朴で豊かな人生観を持ち

道を切り開く強い人

私の心の港です

風も どんな困難も “死”でさえも

彼を打ちのめせない

どうか世界中の人々が私たちの愛を知り

癒されますように

そして あらゆる罪の意識や後悔の念

怒りが消えますように

神に祈ります…」

…ギャレットはキャサリンの遺品を整理しはじめる。そして、製作途中の船を再び造るのだった。

船の進水式にテリーサが呼ばれた。しかし、行ってみると船の名前は「キャサリン号」。進水式もキャサリンに捧げるものだった。式場を後にするテリーサ。そして彼女はギャレットとの別れを決めたのだった。後はギャレットの気持ちに任せて…。

ギャレットは父親ドッジに「過去か未来に生きろ」と迫られ、人生の選択をする。妻キャサリンに手紙を再び書き、海に流すため「キャサリン号」で出港した…。

嵐が来た。ギャレットの船は難破しかかった船に遭遇する。ギャレットは海に落ちた父娘を助けるが、母親を助けに海に飛び込み命を落としてしまう…。

テリーサがアウター・バンクスへ現れた。ギャレットの遺品にボトルに入った手紙があった。その手紙を読んで泣き崩れるテリーサ…。

テリーサはギャレットを失った。しかし、心はテリーサの許にある。

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― 愛を失い、愛に傷つき、愛に信じられずにいた男と女が出会い、ふと惹かれあい、再び愛を信じようとして出発しようとする大人の恋愛映画の佳作。

ボトルに入った手紙の主は、その手紙の内容通り、誠実で妻を熱愛している男だった。2人は愛し合うようになるが、彼は妻を忘れられない。妻の姿を、存在を、魂を…。女はそんな男だったからこそ彼を愛したのに気づく。妻からは奪えない。そして別れを決意する…。

男の方も、女を愛してはいるが、妻の存在が重く確信が持てない。そんなとき父親が助け船を出す。「過去か未来に生きろ」と人生の選択を迫る。そして決意し、再び妻へ手紙をしたため、妻との思い出の岬へ出ようとする…。

2人の気持ちは荒波のように、激しく寄せあっては砕ける。

恋愛映画は苦手なので、感想など書けません…が、

しかし確かなことは、この映画を引きししめているのは、ギャレットの父親ドッジ役のポール・ニューマンだろう。

彼自身が物語の語り部に度々なっているし、2人の恋の行方を静かに見守る父親では到底ないことが、いい。どっちつかずの息子に絶えずハッパを掛け、彼の人生の指針となる。ギャレットは「親父には関係ない」と事あるごとに言うけれど、父親の存在は大きい。「わしのせがれだ。ほってはおけん」と、息子の支えになろうとする。「過去」よりも「未来」に生きろと息子に迫るのだ。「わしにかかって来い」と挑むのだ。子供は何歳になっても子供なんだなぁ…としみじみ思ってしまうポール・ニューマンの演技の確かさにほろりとさせられる。

ギャレットが「過去」に生きようとしたのか、「未来」に生きようとしたのかは、彼が残したボトルに入った手紙が全てを語っている。キャサリンに宛てた今のギャレットの本当の気持ちが。

演出も極めてオーソドックスで好感が持てる。主演の2人も程よくロマンチックである。「悲恋」にしたということも映画の成功の一因だろう。

でもやっぱりポール・ニューマンあっての映画だと思う。良い歳の取り方をしているなぁ、ポール・ニューマンという役者は。

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2008年10月19日

評 決

2 1982年<アメリカ>

監督

シドニー・ルメット

出演

ポール・ニューマン/シャーロット・ランプリング/ジャック・ウォーデン/ジェームズ・メイスン/ミロ・オーシャ/エドワード・ビンズ/リンゼイ・クローズ/ジュリー・ボヴァッツ

ストーリー

フランク・ギャルビンは弁護士だが、酒浸りで、新聞の死亡欄で係争問題が起こりそうな事故死を調べてはその葬儀に潜り込み名刺を置いてくるという情けない生活を送っていた。よき理解者の老弁護士ミッキーですら、いまのギャルビンには手を焼いていた。そのミッキーがギャルビンにある事件を持ってきた。出産で入院した女性が麻酔処置のミスで植物人間になってしまったという、医療ミス事件だった。被害者の妹夫婦が、その病院、聖キャサリン病院と担当の医師2人を訴えたのだった。原告側の証人である大病院の麻酔医の権威グルーパーに面会し、完全な医師のミスであることを確信したギャルビンは、廃人となったデボラの不幸な姿を見て、ショックを受けると同時にこれまでにない怒りを感じるのだった。訴えられた聖キャサリン病院は、カソリック教会の経営で、病院の評判に傷がつくことを恐れたプロフィー司教はギャルビンに21万ドルの示談を申し出た。この仕事に執念を燃やし始めていたギャルビンは、この大金のを蹴る。示談で良しとしていた妹夫婦からは散々な中傷を受けるが、事件は法廷に持ち込まれることになった。教会側に雇われた被告側弁護士は、大物中の大物コンキャノン弁護士だ。早速彼は動き出す。ある夜、ギャルビンは行きつけの酒場で、謎めいた雰囲気を持つ女性ローラと知り合い、深い仲になるが…。

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ローラ(右、シャーロット・ランプリング)と知り合いご機嫌なギャルビン(左、ポール・ニューマン)

しかし、ギャルビン側に一大事態が発生する。最大の頼みであったグルーパー医師が、コンキャノンの工作で寝返り姿を消してしまったのだ。更に検事のホイルの心象を悪くしてしまった。窮地に立つギャルビン。

頼みの綱は、ただ1人証言を拒んでいるルーニー看護婦だった。しかし彼女はギャルビンの説得に耳を貸そうとはしなかった。

そんな中、裁判が始まる。

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     ミッキー(ジャック・ウォーデン)とギャルビン

裁判の焦点は、患者デボラがなぜ麻酔マスクの中で嘔吐し、そのために一時的に窒息死した状態になり脳障害を生ずるに至ったかという点にあった。患者が麻酔処置を受ける1時間以内に食事をした場合ならこの種の事故は起こりうる。妹は食事を麻酔の1時間前に取ったと言っている。しかしカルテには9時間前と書かれていた。

ギャルビン側の力不足は明らかだった。小さな町医者を証人に立ててみても、コンキャノン側にあっさりと覆されるだけだった。

やはり決定的な証人になりうるのは、ルーニー看護婦だった。そこでギャルビンが気づく。彼女は誰かを庇っている。当時カルテに食事時間を書き込み、その後病院を辞めていた受付係ケイトリン・コステロを突き止めた。ギャルビンは単身ニューヨークへ飛ぶ。

ケイトリン・コステロから力になる約束を取り付けたギャルビンに、衝撃的な事実がミッキーの口から伝えられた。ギャルビンの力になり支えであったローラは、実はコンキャノンのスパイだった…。愕然とするギャルビンはローラを殴り倒し、2人は別れるしかなかった。

そして、ケイトリン・コステロが証言台に立つ日がやって来た。名前が呼ばれると、医師の間に緊張が走った。彼女は何を語るのか…。

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ホイル判事(ミロ・オーシャ)、コンキャノン弁護士(ジェームズ・メイスン)、ギャルビン

― 本当の「正義」とは何なのか。人は「慈悲ある正義」を行えることが出来るのかを問うた法廷映画の傑作。

機械につながれ動かない原告デボラ。死んだも当然だ。ギャルビンはその姿に自分を見たのかもしれない。酒浸りで仕事は無し。死んだも当然だ。デボラを見てからギャルビンは裁判に勝てると思うようになる。自分も生まれ変わったと思うようになる。

しかし、道は厳しかった。被告側弁護士の工作で彼の証人は消える。光明を見出してもコンキャノンに先を越される。スパイがいるのは明らかだったが、この裁判に賭けていたギャルビンはそんなことは露にも思わなかった。しかし実に身近にスパイは存在した。ギャルビンが愛し、支えにした女性ローラだった。

最後の頼みの綱として登場した証人、ケイトリン・コステロの決定的な証言も記録から抹殺されてしまう。四面楚歌のギャルビン。

ギャルビンの最終弁論は、大演説をぶつ訳でなく、静かに陪審員に問いかける。語られる。

「我々は絶えず暗闇で迷っています。

そして神に祈ります。

“正義と真実をお示しください”

しかし正義はなく、貧しいものは常に無力です。

絶えずウソを聞かされていると

我々の中で何かが死んで、こう思うようになります。

“私は犠牲者だ”

そう思ったら本当に弱い人間になり、

自分の信念を疑います。

この国の制度を疑い、法を疑います。

今日の法は、あなた方です。

あなた方が法です。

法律書でも弁護士でもなく、大理石の彫像でもなく

法廷でもありません。

それらは我々の願いの象徴に過ぎません。

正義への願いです。

願いというより、祈りと言うべきかもしれません。

正義を切に願う祈りです。

もし、正義を信じたいと願うなら

まず自分自身を信頼し、正しく行動するのです。

正義は誰の心にもあるのです。」

記録は抹殺されたが、記憶までは抹殺されるはずかない。

ギャルビンがローラに会った当時話した言葉が、この映画を要約していると思う。

…弱者を守る人間が必要だ。法律は正義を与える場ではない。正義に挑戦する機会を弱者に与えるのだ。陪審員はそれが可能だと信じたいんだ。裁判なんか信用できないと思っている連中が陪審員席に着くと、目が訴え始める。

“もしかしたら、正義を行えるかもと…”

「正義」は行われるのだ。

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2008年10月16日

スラップ・ショット

4 1977年<アメリカ>

監督

ジョージ・ロイ・ヒル

出演

ポール・ニューマン

ストローザ・マーティン

マイケル・オンキートン

ジェニファー・ウォーレン

リンゼイ・クルーズ

ストーリー

全米プロ・アイスホッケーのマイナー・リーグ所属「チャールズタウン・チーフス」は、連戦連敗の最下位の三流チームだ。選手兼コーチのレジーは頭が痛い。しかもスポンサーの鉄工場が不況で閉鎖するため、チーム解散の危機を向えている。レジーはチームがフロリダに売られると嘘をつき、選手の意欲向上を図るが空しい。しかし、そんなチームの再生にマネージャーのマグラスはハンセン兄弟を採用する。すると彼らはラフ・プレーを連発。その勢いに乗り、「チャールズタウン・チーフス」は荒いプレーを信条としたチームへと方向転換。連戦連勝で決勝戦まで勝ち進むのだった…。

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     選手兼コーチのレジー(ポール・ニューマン)

― ルールなど問答無用な痛快スポーツ・エンタテインメント。

アイス・ホッケー場は男の戦場。「死ね!」「倒せ!」と常に怒号が渦巻いている。その中の弱小チーム「チャールズタウン・チーフス」が、ハンセン3兄弟の加入によりラフ・プレーを信条とした荒っぽいチームに生まれ変わる。レジーも勝てば何をしても良いといった心構えだ。名前を“殺し屋”に変える選手も出る始末だ。しかし、その中にもお約束のように、「クリーンなゲームをしよう」と一人つぶやく攻撃の中心柱ネッドの姿もある。しかし、クリーンな野郎はゲームに出してもらえないのだった。

                      ハンセン兄弟

3チームが勝つとファンも増える。「チーフス」のバスにつき従うもう一台のバスの出現。グルーピーの登場だ。

反対にルール無用のラフなチームには、敵も増える宿命だ。「帰れ!!」コールの中、バスの窓からお尻を丸出しにして敵陣に乗り込む図太さも必要になって来る。

そしてレジーとネッドの私生活は荒れ模様。レジーは別居して久しい妻がおり、もう少しで離婚の危機だ。ネッドは妻リリーから逃げてばかりいる。リリーは酒浸りだ。そのリリーをレジーが口説くねじれ現象。しかしレジーは妻フランシーヌに未練たっぷり。

相手チームの選手の首に賞金を懸けたり、野次って物を投げた観客に暴力をふるい逮捕されたり、もうやりたい放題のチーフス。レジーの口八丁手八丁も冴えわたる。

ついにレジーはチームのオーナーを付きとめ会いに行く。これだけ勝ちの込んでいるチームだとさぞ他に売りやすいと思いきや…オーナーは税金対策のためチームを運営しているにすぎなかった。黒字のチームは売れない。

やっぱり解散かと絶望のレジー。せめて最後はクリーンなゲームで勝とうと皆に気合いを入れて試合をするが、相手チームが送り込んできた選手は資格停止になった者や追放された者たちばかり。猛者相手に前半を終えて皆ボロボロ。マグラスが乗り込んできて、「メジャー・チームからスカウトが来てるのになんて様だ!!」と叫ぶと、レジーの眼が光る。「スカウト?」…そして結果は?皆さんが思っている通りです、はい。

とにかく、これでもかっ…というようなバカバカしい映画なんだが、これを「明日に向かって撃て」「ステイング」と名作を送り込んだジョージ・ロイ・ヒル監督がポール・ニューマンと一緒に作ったってことが評価出来る。

ポール・ニューマンのバカに徹した演技が好感を持てる。彼のコメディ・センスが光る映画だ。ただ、楽しめばそれでいい作品。何も考えずに楽しむのみ。

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2008年10月13日

スティング

1 1973年<アメリカ>

監督

ジョージ・ロイ・ヒル

出演

ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/ロバート・ショウ/チャールズ・ダーニング/レイ・ウォルストン/アイリーン・ブレナン/サリー・カークランド/ディミトラ・アーリス

ストーリー

1936年、シカゴ郊外のダウンタウン。この街に住むジョニー・フッカーは詐欺で日銭を稼ぐ若いイカサマ師。ある日、いつのように通行人から金を騙し取るが、相手は大物ギャング、ロネガンの手下だった。しかもフッカーが盗んだのはロネガンが所有する賭博場の上がり金。これをきっかけに、フッカーの師匠であるルーサーが殺されてしまう。復讐を誓ったフッカーは、ルーサーの旧友で伝説の賭博師ヘンリー・ゴンドーフを訪ねる。彼に協力を求めるが、FBIに追われてるゴンドーフは首を縦に振ろうとしない。だが、フッカーがロネガンの名を口にしたとき、ゴンドーフの内なる闘争心に火が付いた。それからゴンドーフは昔の仲間を集め、ロネガンの身辺を洗い、彼がポーカーと競馬に目がないこと、近くシカゴを訪れることを調べ上げ、早速シカゴの下町にインチキノミ競馬屋を構えるのだった…。

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イカサマポーカーの勝負の行方は?ゴンドーフ(ポール・ニューマン)、食い下がるロネガン(右、ロバート・ショウ)

シカゴに向かう汽車の中でロネガンはいつもポーカー賭博をすると聞いたゴンドーフは、自分も仲間入りする。イカサマポーカーの達人でもあるゴンドーフは勝ちっぱなしだ。負けが込んだロネガンはついに自分もイカサマをすることにした。しかし、出た目はゴンドーフの勝利。あらかじめゴンドーフの情婦が財布をスッていたため、金も払うことが出来ない始末だった。面目丸つぶれのロネガン。

ゴンドーフの使いとしてフッカーがロネガンの部屋へ訪れる。なんとあっさりとロネガンが負けた仕組みと財布の行方を吐いた。フッカーはロネガンと組んでゴンドーフの店を乗っ取りたいと持ちかけてきた。

翌日、店で打ち合わせ。2時過ぎに馬の番号を知らせる電話が掛って来るので、その番号をゴンドーフの店に行って賭ければそれでいい。ロネガンはその通りにし、見事大金をせしめたのだった。ロネガンはフッカーを信用しはじめる。

その翌日、フッカーはロネガンの泊っているホテルへ行き、とっておきの話を持ちかける。ゴンドーフの経営するノミ屋に電送されてくる競馬の中継は、電報局の局長と組んで2分遅らせて放送しているので、実際にはすでにゴールしている馬券を買えるので、ロネガンは大儲け、そしてゴンドーフには破産が待っていると…。そしてロネガンはその話を信用し、50万ドルという大金を用意するのだった…。

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      フッカー(中央、ロバート・レッドフォード)

― マービン・ハムリッシュによる軽妙な音楽に乗って、大胆不敵なイカサマ賭博が始まる。これぞ、エンタテインメントの真髄。

幾重にも緻密に計算しつくされたイカサマ賭博を大胆に仕掛けるその精神の図太さに感服。しかし、全てを成功させるまでは、細心の注意を払う。そして、何でも使う。

話の運び方も“粋”で洒落ている。

<仕掛け><釣り針><筋書き><有線><締め出し><本番>と、エピソードごとに名前を付けて話を進めるその粋さ。ついつい画面にくぎ付けになってしまうその上手さ。

そして最後の衝撃的な終演は、ロネガンも私たちもまんまと騙されるのだ。

「やられた!!」と思いながらも口はにんまり。こんな痛快な騙されっぷりはそうない。

ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードも、「明日に向かって撃て」に続きコンビを組み、再び軽快な演技で、心地良い気分にさせてくれる。今作のポール・ニューマンは、ロバート・レッドフォードの後見人という形で登場するので、いま一つレッドフォードの影に隠れ“脇役”っぽいが、彼の適度に力が抜けた軽いノリの演技も良いものであるのだ。

1930年代の大不況で街も人もうらぶれてはいたが、その逆の粋な時代だったことも垣間見せてくれる。

脚本が練りに練られて、一級品。アカデミー作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞は当然かな。(その他、美術監督・装置、編集、編曲、衣装デザイン7部門を獲得)

粋な映画に酔うばかり。

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2008年10月 5日

暴力脱獄

1 1967年<アメリカ>

監督

ゴードン・キャロル

出演

ポール・ニューマン

ジョージ・ケネディ

J・D・キャノン

ルー・アントニオ

ストローザ・マーティン

ストーリー

酔ってパーキングメーターを壊し、2年の懲役刑を受けたルーク。はじめは囚人仲間と反発したが、囚人のボス・ドラグラインとのボクシングで死闘を演じ、炎天下の中のアスファルト轢きを驚異的な速さでやり抜き、1時間に50個のゆで卵を食べるという賭けに勝ち、囚人仲間から「クール・ハンド・ルーク」と呼ばれ、人望を集めていった。しかし同時に看守たちから目を付けられた彼は、母親の死をきっかけに理不尽な懲罰刑に遭ったことから、脱獄を繰り返すようになるのだった…。

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     「クール・ハンド・ルーク」(ポール・ニューマン)

― 理不尽な権力に対して、徹底的に立ち向かった1人の男の話。

彼は脱獄し、捕まり、重い罰を受けても再び脱獄するのだ。看守たちを嘲笑い、そのたびに、「クール・ハンド・ルーク」は囚人仲間のヒーローになっていく。それがまた看守たちの怒りに火を注ぐのだ。ついに半殺しの目にあい、改心し、ヒーローは地に落ちた…と思われたその時、見事な反撃に出るのだ。それには思わずドラグラインも一緒についていってしまうほど、鮮やかだった。

                       ドラグライン

                     (ジョージ・ケネディ)

12しかし、ルークの脱獄の意味するところは、「自由」になる、ということではないようだ。あくまでも、理不尽な権力に立ち向かい、一時的にでも勝てば良し…というようなところがある。

脱獄に成功し、しばらくしてドラグラインの所に伯父から雑誌から届く。そこには、警察を、看守たちを嘲笑うかのように、ルークが美女と3ショットで映っている写真がまるまる1ページ載っていた。我らがヒーロー、「クール・ハンド・ルーク」は上手く自由を手に入れたのだ…と思ったが束の間、またルークは刑務所に帰ってくるのである。

「自由」を手にするための脱獄ならば、そんな派手な動きはしないはずだ。そして、最後の脱獄も、自ら「自由」を手放してしまうのだ。

徹底して理不尽な権力に立ち向かい、勝敗のゲームを楽しんだとも取れる。

ドラグラインとのボクシングの死闘、ゆで卵50個完食のユーモア溢れる場面、母親の死を知らされ1人泣きながらバンジョーをつまびく姿、懲罰房へ入れられてもくじけない姿、そして脱獄…。ルークの不屈の姿が浮かび上がる。

ルークは一人だけの“栄光”に向かって、脱獄を続けたのだ。そしてちょっとそれに疲れただけなのだ。

残酷な映画でもあるが、すがすがしい気分にもさせる不思議な後味を残す映画だった。当時の映画としては多少長尺の127分だが、無駄な演出は一切ない。

アメリカ南部のむせ返る暑さも印象に残る。

ポール・ニューマンが圧倒的な存在感で、「クール・ハンド・ルーク」を好演。それに負けるとも劣らず、ユーモラスで獰猛でルークに心酔しているドラグライン役を見事に演じたジョージ・ケネディが、アカデミー助演男優賞を受賞している。

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2008年10月 3日

ハスラー

3 1961年<アメリカ>

監督 ロバート・ロッセン

出演

ポール・ニューマン

ジャッキー・グリーソン

パイパー・ローリー

ジョージ・C・スコット

マイロン・マコーミック

ストーリー

“サンフランシスコのエディ・フェルソン”といえば、ビリヤードの世界では名の売れた「ハスラー」だ。そのエディがシカゴでも名うてのハスラー、“ミネソタ・ファッツ”に挑戦する。勝負の前半はほとんどエディが奪った。ファッツはゴードンという男を賭博場から呼び寄せる。図に乗って酒を飲みながら勝負を進めるエディは、相棒チャーリーの「もう終わりだ」の言葉を無視し、ファッツが降参するまで続けると宣言する。するとゴードンは、「続けろ、こいつは落後者だ」と言う。その言葉を合図に勝負は24時間を過ぎると逆転され、ついに場数を踏む老巧なファッツに敗れ、文無しになってしまう。相棒のチャーリーを置いてバス・ステーションへふらりと現れるエディ。そこで、サラという作家志望の足の不自由な女性と知り合いになるが…。

※ ネタバレです。

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“ミネソタ・ファッツ”(ジャッキー・グリースン)と、エディ(ポール・ニューマン)の大勝負

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   ゴードン(ジョージ・C・スコット)「こいつは落後者だ」

5_2眠い目をこすりながら、ブラックコーヒーを注文するエディ。サラにもおごり、彼女のパスが8時だというので、「サヨナラだ」と乾杯したが、エディはいつのまにか眠ってしまった。ウエイトレスに起こされた時には、勘定はサラが払ったことを告げられ、8時はとっくに過ぎていた。

その後エディは酒場へ寄るが、そこにサラがいた。今度は彼がおごる番だ。サラがバスに乗るというのはウソだった。サラは近くに住んでいて、火曜と木曜日以外大学の無い日は酒浸りの日々だった。エディも酒びたりの悩み多き日々になりそうだった。それが2人を急接近させる。エディはサラのアパートに転がり込むのだった。

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     サラ(パイパー・ローリー)と、エディ

ある日、チャーリーがエディの許を訪れる。しかし、話は物別れに終わり、チャーリーとの仲も終わった。

それ以来、エディとサラは部屋に閉じこもり、ただ酒を飲む日々が続いた。

エディはゴードンのいる賭博場へ行く。そして賭博が終わり2人きりになったとき、ゴードンは“ミネソタ・ファッツ”との戦いの解説をした。そして、「お前は落後者だ」と、もう一度言うのだった。そしてファッツと戦う軍資金を出そうというのだ。取り分はゴードンが75%。エディは「高すぎる」と言ってはねつけた。

その後、エディはファッツと戦う軍資金を稼ぎに小さなプール・バーへ行く。しかし、「ハスラー」だということがバレて、エディは親指を折られてしまう。それ以来サラは酒を飲まず、かいがいしくエディの世話をするのだった。…サラはエディから「愛」を欲しがるようになる。

エディの指が治ってリハビリをしていると、ゴードンがやって来た。エディはゴードンと契約した。

最初の試合はケンタッキーだ。フィンレイという金持と勝負するのだ。エディはサラも連れて行った。ゴードンとサラは気が合わなかった。

フィンレイと勝負が始まろうとしていた。だが、彼の方式はプールではなくビリヤードだった。帰ろうとするゴードンを引き留めるエディ。負けが込んでゴードンは帰ろうとする。エディはサラの財布から金を取って強引にゲームを進める。しかし益々負けが込んでエディはゴードンにすがる。その姿を見たサラは、絶望せずにはいられなかった…。

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…結局エディが大勝した。ゴードンはタクシーで、エディは歩いてホテルまで帰った。

彼の勝負師としての腕を買ったゴードンはサラに、エディの希望で帰れと言った。しかしサラはゴードンの部屋へ行き酒をねだり、彼と寝た。そして自殺した…。

エディは再び“ミネソタ・ファッツ”に戦いを挑んだ。今度はエディの大勝だった。しかし代償は大きかった。界隈を牛耳るゴードンによって大手の店には出入り禁止。そして、サラ…。

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― コントラストの利いた白黒の画面に、照明に照らされたビリヤード台が映える。そして、球を叩く乾いた音…。スタイリッシュな映画だ。

そして、「人間ドラマ」としてもよく書けていると思う。

一度乗り出したら手がつけられないが、酒と栄光に酔って身を持ち崩し、“ミネソタ・ファッツ”に敗れ去った男、エディ。彼は勝ためたなら、ゴードンに無様なまでにすがる。“勝利”が彼の全てなのだ。そのためには無様な姿をサラに見られなじられても、彼女が邪魔なだけだった。

そして、ハゲタカのような勝負師ゴードン。彼は勝負に勝つすべを知りつくしている。ファッツとの試合でエディを見染め、自分の手の内におさめ、彼が勝利するのを待てばいいのだ。そのためには、エディの周りを飛び交う虫…サラが邪魔だった。エディの勝利のためなら、彼女を簡単に片付けることも出来る男。血も涙も無い男だ。

複雑な心理を秘めている女、サラ。最初は酒びたりのエディと、“同類憐れむ”ように生活を共にするが、彼を愛し始める。エディの愛を欲するようになる。それが命取りだった。ハゲタカのゴードンには厳しく接され、エディにまで邪魔にされる。「男の勝負」の世界には自分は無用。最後にささやかな反抗として、嫌っていたゴードンとベッドを供にし、自殺して果てる。不器用で悲しい女。

エディがサラを愛していると、その愛が本物であったと悟ったのは、サラが自殺した後だった。全ては遅かった。なぜ彼女に愛を約束しなかったのか…。ファッツに再度挑戦して勝つものの、代償はあまりにも大きかった。サラを殺したのは、自分とゴードンだ。2人が手を組んだから、彼女は死んだのだ。ファッツに勝っても気分は晴れるどころか、自己嫌悪に陥るばかりのエディ。しかし、ハゲタカ・ゴードンと手を切って(「ハスラー」としての活躍は閉ざされたものの)、何故か爽快な気分にもなるのだった。

そして、“ミネソタ・ファッツ”を演じたジャッキー・グリーソンが抜群に良い。“ファッツ”の名の通り、太った体に粋にスーツを着込み、カーネーションを差し、太い指にはダイヤモンド・リング。エディに負けが込んでいた時、気分転換に手を洗い、身なりを整え、手にパウダーを塗って、見事な反撃に転じてる様は、「お見事!!」と手を叩きたくなるほどだ。

「勝負の世界」を題材にした映画としても、「人間ドラマ」としても一級品。ビリヤード・シーンだけ見ててもワクワクする映画だ。

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2008年10月 1日

熱いトタン屋根の猫

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監督

リチャード・ブルックス

出演

エリザベス・テイラー

ポール・ニューマン

バール・アイヴス

ジャック・カースン

ジュディス・アンダーソン

ストーリー

“ビッグ・ダディ”と家族の者から呼ばれる大農園主ポリット家の当主が邸に帰って来た。65歳の誕生日を迎える彼を、長男のグーパーとその妻メエ、蛙の化け物のような2人の5人の子供たちがことさら仰々しく歓迎した。癌という不治の病の“ビッグ・ダディ”の莫大な財産を何とか有利に相続しようというのだ。しかし“ビッグ・ダディ”には真実は隠されていた。自分は健康体だと信じて疑わない“ビッグ・ダディ”。彼にはもう1人、次男のブリックがいた。フットボール選手だったブリックと、彼の妻マギーは父にとって信頼するに足る夫婦だったが、しかし現在のブリックは酒に溺れ仕事も辞め、妻マギーとも「夫婦生活」をしようとしない焦燥の日々を送っていた…。

※ 先日お亡くなりになったポール・ニューマン氏を偲んで、「追悼、ポール・ニューマン」をお送りいたします。

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言い争いの絶えない“愛”の無い夫婦、ブリック(ポール・ニューマン)とマギー(エリザベス・テイラー)

ブリックは酒に酔い競技場でハードルを飛び越えそこね、足を骨折したばかり。自暴自棄になっている。そして、妻マギーと肌を合わそうとさえしない。その様子は隣の部屋の兄嫁に筒抜けだ。そんな欲求不満な生活を強いられる妻マギーもヒステリー気味だ。それを、「熱いトタン屋根の猫みたい!」とブリックに訴えると、「愛人を作れ」という答えが返ってくるだけだ。しかしブリックを愛しているマギーは今はなんとか踏みとどまる気でいる。

そんな中、“ビッグ・ダディ”が飛行場に着いた。騒々しく歓迎する長男一家とは裏腹に、静かに“ビッグ・ダディ”を見守るマギー。

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“ビッグ・ダディ”は、マギーの運転する車で皆を置いて屋敷まで帰ってしまう。マギーは“ビッグ・ダディ”が好きだった。彼はマギーに、「わしはまだ死なん。人生に未練がいっぱい残っている。これから楽しむんだ。」と、自分が築き上げた帝国を見ながら言った。

“ビッグ・ダディ”は一代で大農場主・大富豪にまで登り詰めた人物だ。誰も信用せず、妻をも愛さず、ただひたすら事業を大きくすることだけに力を傾けてきた独裁的な男だ。

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        “ビッグ・ダディ”(バール・アイヴス)

その父親の余命がいくばくもないことは、ブリックにも知らされた。知らないのは“ビッグ・ダディ”、その妻とマギーの3人だけだった。庭では偽善的なパーティが続いていた…。

マギーが部屋へ帰ると、ブリックは帰り支度をしていた。マギーにも“ビッグ・ダディ”の余命が知らされた。一緒に帰ろうとブリックは言う。しかしマギーは、このまま帰ってしまうと財産は兄夫婦のものになる、このままじゃ負けると譲らない。そしてしんみりと、「何がいけなかったの?」と夫婦の問題に切り込んできた。「“スキッパー”のこと、告白したのが間違いね」と言うと、ブリックの顔は焦りに満ちた。“スキッパー”のことをとことん話し合い誤解を解きたいマギーだが、ブリックはいつも逃げるのだ。

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そこに、“ビッグ・ダディ”が姿を現した。ブリックと酒を交わし、「秋晴れの気分だ」と言う。「今までは急いで生きて来たけど、これからは遊ぶぞ」と宣言する。しかし、ブリックの酒癖のことで2人は口論となる。ついに“ビッグ・ダディ”の口からも、そんなに酒を飲むのは“スキッパー”の死が原因だということが漏れた。

間違ってはいなかった。ブリックにとって“スキッパー”は、誰よりも―妻のマギーよりも―愛していた男だった。ブリックも観念した。マギーが呼ばれた。ブリックの死の真相を正すために…。

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― この映画の要点は、“人間の醜さ”“人生の修正”“親子愛の修正”“夫婦愛の修正”の4点だと思う。

「夫婦愛の修正」はなかなか複雑である。一気には解決しない(できない)問題をはらんでいる。

ベッドを共にしないが離婚もしない異常な関係の夫婦が一組。日々の詳細は隣の部屋の兄嫁から母親に筒抜けだ。そして“ビッグ・ダディ”にも。夫婦がこうなったのは一人の人間の「死」に原因があるようだ。

一番の原因だと思われている妻マギーは、夫ブリックを心から愛している。だからいつ何時でも2人で、彼のためにフットボール・チームまで作らせた“スキッパー”が憎かった。そして復讐の時が訪れる…。ブリックが怪我で入院中、スキッパーは無様なプレーをし、チームは大敗。彼は酒に酔った。チャンスだ…。しかしマギーは悪女になれず、ブリックの愛を失うのを恐れて、スキッパーの許から逃げ帰ってしまう。

しかし、ブリックは信じてはくれない。その後、スキッパーからブリックに電話があって、マギーと寝たと告白されたのだ。ブリックは電話を切って再三かかって来たベルに2度と出なかった。そしてスキッパーは自殺をしたのだった。

電話に出なかったことが、スキッパーの自殺の原因だとブリックは言う。彼は怯えていた。信じられなかった。彼は泣きだして、「君がいないとダメだ。助けてくれ」と言う。聞いていられなかった。ベルは悲鳴のように鳴り続けていたけど、取れなかった、と。

ブリックがマギーと「夫婦生活」を営もうとしないのは、スキッパーがマギーと寝たと告白したことを信じているから。そして酒に溺れるのは、スキッパーの自殺が自分に原因があると考えているからだ。

しかし、ブリックは“ビッグ・ダディ”に「なぜ離婚せん」と詰め寄られると、だんまりを決め込むのだ。

“ビッグ・ダディ”は、事実は事実。彼はブリックが殺したんじゃない。自殺したんだ。大人になれ、妻や人生から逃げるな、現実を直視しろと強い調子でブリックに迫るが、彼はハッパをかけられ立ち直れるような男ではなかった。とことん、潰れているのだ。

「夫婦愛の修正」は「人生の修正」と「親子愛の修正」を経て行われることになる。

反対に「人生の修正」と「親子愛の修正」はあっさりと行く。ありきたりだ。

ブリックがうっかり、「パパはじきに死ぬんだ」と口を滑らせた時、初めて“ビッグ・ダディ”は衝撃というものを受ける。1人地下室にこもって思いを巡らせる…。

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その間、部屋では醜い遺産相の言い争いが繰り広げられる。ブリックの酒癖を攻撃する兄夫婦。マギーがブリックに遺産をあげないための陰謀だ、貪欲で汚いと訴えると、兄嫁によるマギーへの攻撃。(子供が出来ない理由だって知ってるんだから!!とまで言い出す始末だ)ブリックばかり可愛がってきた母親への恨みつらみ…。それを聞きながら、ブリックは地下室へ下りていく。

「なぜわしに頼らんで、スキッパーを頼った。家族の方がお前を愛しているのに。何でも買ってやったぞ、忘れたのか?」という言葉にブリックは敏感に反応する。「物はいらない!!」と 。そして地下室の骨董品を壊し始める。自分の等身大のパネルを「クズだ!!」と言って叩き割る。そして、ボスではなく「父親」が欲しかったんだと、ブリックは言った。愛情が欲しかったと。お互い古い付き合いだけど他人なのだ、と言う。

話は“ビッグ・ダディ”の父親にまで及んだ。彼の父親は浮浪者だった。貨車のただ乗りをしていた。貨車を追いかけていて、心臓まひで死んだ。遺体は線路わきに埋めた。浮浪者のくせに笑いながら死んだ。ブリックは、「子どもといつも一緒にいられたから、幸せで笑ったんだよ」と言った。「わしも浮浪者の父親を愛していた」と“ビッグ・ダディ”が応えた。

ところでお前には生きていく勇気があるか?と、“ビッグ・ダディ”はブリックに向かって言い、やってみよう、助け合ってその階段を登ってみようと、地下室の階段をブリックと共に登った。

地下室で「人生の修正」と「親子愛の修正」が行われた。

兄夫婦が母親に書類にサインさせようとしている中(母親はガンとして、「私はまだ未亡人じゃない」とサインに応じない)、兄嫁がマギーも遺産を狙っていると攻撃すると、マギーは高らかに、「ブリックは何も欲しがっていません。たとえ“ビッグ・ダディ”がくださっても辞退するでしょう」と言った。そこに、“ビッグ・ダディ”とブリックが現れる。部屋は書類が散乱している。

兄夫婦が慌てて書類を隠そうとすると、それを取り上げ、「虚偽の匂いがするな」と言う。「虚偽の悪臭がプンプンだ」と。それは“死”の匂いだと“ビッグ・ダディ”は言い放つ。

そしてマギーの重大発表が、「夫婦愛の修正」につながる。長い道のりだったが。たとえそれが“嘘”だとしても、本物に変えてしまうマギーの力強さがある。

「人間の醜さ」は映画全体を貫いていて楽しめる構造になっている。“ビッグ・ダディ”と皆から呼ばれながらも、妻も息子たちさえ誰も愛したことはない独裁者の父親。酒に溺れ、マギーを避けるブリック。“ビッグ・ダディ”を愛しながらも、実体験から貧乏生活はまっぴらごめんだと思っているマギー。“これ見よがし”に遺産を狙ってくる兄夫婦。遺産を独り占めするためら、マギー夫婦の私生活を暴くのさえ厭わないその根性の汚さぶりはかえって痛快なほどだ(兄嫁がナイス・キャラだ!!)。

しかし、「夫婦愛の修正」までのプロセスの複雑さ・面白さから見れば、「人生の修正」「親子愛の修正」はありきたりすぎて、面白みが全くといっていいほど、ない。演出も平凡だ。映画の前半(マギー夫婦の私生活と“ビッグ・ダディ”の帰還、なぜマギー夫婦がベッドを共にしなくなったのか)後半(「人生の修正」「親子愛の修正」「夫婦愛の修正」)の出来がこうも割れた映画も珍しいかもしれない。

ポール・ニューマンは、スキッパーという“男”を愛しながらも、マギーをも愛さずにはいられないという複雑な性癖の男を好演。

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