« リプリー | トップページ | 民衆の敵 »

2009年5月31日

太陽がいっぱい

12 1960年<フランス・イタリア>

監督 ルネ・クレマン

出演 アラン・ドロン

    マリー・ラフォレ

    モーリス・ロネ

    ビル・カーンズ

ストーリー

トム・リプリーは5千ドルの契約でフィリップの父親から彼をアメリカに連れ戻すよう頼まれ、ナポリへとやって来た。だがフィリップはマルジュという恋人に熱を上げ、故郷に戻る気はまるでない。やむなくトムは彼と行動を共にするようになる。ある日、フィリップはタオルミナでフレディと合流するため、トムとマルジュを連れヨットで旅立った。今まで友人のように接していたフィリップだったが突如トムに冷たくなり、あまりの仕打ちにトムは彼に対して殺意を抱くのだった…。

3_3

フィリップになりきるが彼に見つかり、気まずいトム(アラン・ドロン)

ルネ・クレマン監督が、アラン・ドロンのために作った映画だと正に言えよう。アラン・ドロン=トム・リプリーである。

言うなれば「欲望の果ての物語」だ。トムは金のためにフィリップに近づき、金と愛憎のためにフィリップを殺す。

驚くべきことに、ヨット上で早くもトムはフィリップ殺害の計画を彼自身に話して聞かせているのだ。映画の序盤から兆候は見えていた。トムはフィリップになりたかったのである。

それは5千ドルがトムの手からこぼれ落ちた時(フィリップの父親から契約を解除される)、今までは友のように接してくれていたフィリップが、ヨットに乗ったとたんサデスティックなまでにトムにつらく当たるようになった時、決意したのだろうか。フィリップを殺して彼になりきる。

15_2

フィリップ(モーリス・ロネ)、マルジュ(マリー・ラフォレ)、トム

マルジュをヨットから降ろし、フィリップと2人きりになり、トランプゲームを楽しむふりをしてフィリップをナイフで一突き。後は死体を布に巻いて大海原へ捨てる。一瞬の躊躇もないこの一連のトムの動作はとてもしなやかである。

その後はフィリップのものを全て頂くため彼になりきるために努力だ。パスポートの写真を変え、筆跡を完璧に書けるようになるまで何度も何度も映写機で写す。そしてフィリップが一番大切にしていたもの…マルジュである。

6

1

         この瞳に抗えようか…?

途中、フレディに正体がばれながらも(当然フレディも始末してしまう)華麗に嘘を重ね、警察やフィリップの父親、果てはマルジュまでをも信じ込ませてしまうこのスマートなテクニック。そうなれば、「太陽がいっぱいだ。最高だ…。」とビーチで一人呟くのもうなずけるかな。

5_2

― と、書いていけば「リプリー」のトム・リプリーとは全くの別人であるのが分かる。

「リプリー」のトム青年は、ホモセクシャル全開の犯罪には消極的で後始末も無様な人物。一方我らがアラン・ドロン扮するトム青年は、フィリップへの愛情を内に秘めながら犯罪には積極的でハングリー、後始末もしたたかな男として描かれている。この「太陽がいっぱい」のトム・リプリーは、アラン・ドロンの性格を加味して出来あがったものだと思うのである。

ヨットでの食事のシーンで、フィリップがトムの食べ方を注意するくだりがある。これもアラン・ドロンの出身から考え出されたものだろう。そしてあの瞳の誘惑…。ただ見つめるだけでマルジュの総てを落としてしまった魅惑のあの青い瞳。何も言えない。

すなわち、「リプリー」は総じて原作に忠実で、「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンに忠実な映画と言えよう。

4

|

« リプリー | トップページ | 民衆の敵 »

映画 フランス」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/148473/29875742

この記事へのトラックバック一覧です: 太陽がいっぱい:

« リプリー | トップページ | 民衆の敵 »