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2009年10月

2009年10月12日

地獄の戦場

5 1951年<アメリカ>

監督 ルイス・マイルストン

出演 リチャード・ウィドマーク

    ジャック・パランス

    カール・マルデン

    レジナルド・ガーディナー

    ロバート・ワグナー

ストーリー

第二次世界大戦下、米国海兵隊B中隊は南太平洋のある島に上陸した。上陸後、日本軍のロケット砲の集中砲火をあび前進出来なくなる。意外である。敵軍にロケット砲の装備はなかったはずだ。任務に着いた中隊長アンダースンは、洞穴の中にいる日本人将校らが降伏を求めているとの情報を得る。アンダースンは小隊を率いてその洞穴へと赴くが…。

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      中隊長アンダースン少尉(リチャード・ウィドマーク)

日本のロケット砲が無尽蔵に飛んでくるという、ちょっとありえない設定の映画だったが、戦争の無情さは良く描けていると思った。

戦争から逃げたいと願いながら戦わずにはいられない男。それを知りながら見ているしかない男。ガダルカナルの生き残りの部下たち。日本兵の執拗な攻撃にあい、一人、また一人と死んでいく…。

アンダースンはガダルカナルの戦いで、44人中7人しか帰還させられなかったことに頭を痛め、戦争から逃げたいと願いながら逃げられず、何かあると片頭痛を発症させるまでになっている病人である。しかし、今作戦もガダルカナルの生き残りを再び連れて、島を占領し、日本兵を捕虜にする役目を負っている。彼らを失う恐怖とまた戦わねばならない。辛い立場だ。

“ドク”はガダルカナルでのアンダースンの命の恩人だ。“ドク”は、アンダースンの心の内を知りながら、彼に言われるがまま薬を処方してしまう。本当は薬などではアンダースンの片頭痛を癒すことは出来ないと知りながら。そして島に上陸すると、何やらメモを書き始める。アンダースンに宛てたものだ。

                  “ドク”(カール・マルデン)

7_2“コンロイ”“ピジョン”“坊や”は、ガダルカナルの生き残り組だ。特にコンロイは教師時代のアンダースンの教え子で、彼には大変世話になっていた。どもりを直し、卒業生総代にまでなった。上陸前は戦いを放棄しようとするが、アンダースンに励まされ、そしてアンダースンの戦う姿に勇気を得て立ち上がる。

“ピジョン”はボクサー上がり。“坊や”は姉がハワイで日本人と結婚したことから傷つき、敏感になっている。“ピジョン”は“坊や”を「俺のマネージャー」と呼び可愛がっている。

戦場でウイスキーを作るのを生きがいにしているツワモノもいる。しかし、いざ戦いとなると彼ほど頼れるものはいないという。

そんな男たちと通訳、従軍記者を連れ、日本兵のいる洞穴へやって来たアンダースン。しかしこの洞穴から、生き地獄が待っていた…。

嘆く“ピジョン”(ジャック・パランス)と“坊や”

11_3 捕虜を司令部に送り届けるまでに、ガダルカナルの生き残りが一人、また一人と死んでいく。“坊や”は日本兵を皆殺しにしようとし、“ピジョン”にたしなめられるものの自滅して果てる。“ドク”も例外ではなかった。衛生兵とて戦争の犠牲になるのだ。彼は従軍記者に書きかけのメモを託して亡くなった。

その間にも日本のロケット砲は止む気配を見せず、司令部をいらつかせる。捕虜を連れ帰って尋問するが、なしのつぶてだ。しかし、自決した将校から獲得した地図と、“坊や”の遺品から出てきた洞穴にあった地図を照らし合わすことによって、ロケット砲の場所を特定しようとする試みが続くが…。総攻撃までのタイムリミットはあと55分…。

その間、本隊に帰った“コンロイ”がロケット砲により、死んだ。アンダースンが教師時代どもりを直す言葉として使った「希望は万人の母なり。皆それを胸に活きるべし」という言葉をアンダースンに残して…。

“ドク”と“コンロイ”の死がアンダースンを追い詰める。吐き気に襲われ自暴自棄になる。しかし、“ドク”の残した遺言めいたメモがアンダースンを再び駆り立てる…。

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リチャード・ウィドマークが、片頭痛に苦しみながらも何かに突き動かされるように戦う男を熱演している。特に温厚で誠実な教師時代から、島へ上陸前の心の弱さをさらけ出す表情、しかし上陸後は頼れる中隊長としての顔、仲間を失い片頭痛に苦しむ姿、しかし仲間の死を乗り越え、さらに前進する姿は、個性派から演技派への道をひた走るウィドマークの姿と重なる。素晴らしい。

日本のロケット砲の場所を探し当てるのは、実に呆気なかったが、その間までの105分間(映画は114分)は流石巨匠ルイス・マイルストンである。ひっぱりにひっぱり、アンダースンの苦悩、その他兵士の個性、日本兵捕虜の個性を充分に描き切っている。

日本兵の描き方も特に偏ったところがなく、捕虜になって辱めをうけるよりは最後は自決する…というのは、1951年当時外れのない描き方で驚かされる。

まぁ、日本兵の苗字に少しおかしいものがあったのと、ガダルカナルの戦いの後で日本軍にロケット砲を無尽蔵に降らせることが出来る余力があったのか疑問だが、それにせよ、戦闘場面は迫力いっぱい、ウィドマークも迫力いっぱいで満足のいく出来であった。

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